「本当に戻んのか?」
「ああ」
「連れて、向こうまで飛べんのか?」
「平気だ。手当ては感謝する」

〜 * 〜 * 〜 * 〜

 藍の鳥の様子がおかしい。
 あの騒動があってから二、三日のあいだずっとだ。

 あの時、物凄い速さで飛んで帰ってきた藍の鳥はカヨと爺たちを一瞥し、次いで巣にいる女を見つけると一直線に巣に飛んでいき、女に掴み掛った。
 カヨたちの頭上を通過するときに垣間見えた、あの怒りに満ちた険しい顔は滅多に見られるものではなく、怒っていることは一目瞭然だった。
 そうして始まった藍の鳥と女の激しい口論は一向に収まらず、一旦カヨは爺の棲家に連れられることになった。
 不安がるカヨを迎えに藍の鳥が爺のところへ来たのは日が暮れる直前。その時にようやく、カヨは藍の鳥が体中のあちらこちらに鋭い切り傷の様なものをつくっていたことに気付いた。
 藍の鳥が血を流すような傷を負うことは今までなかった。カヨが妖に襲われたのを助けた時も、藍の鳥は涼しい顔をして追い払っていたのだ。
 だが、いったい何があったのかと問うても藍の鳥はだんまりで、何も教えてはくれなかった。どこへ行っていたのかも、あの女はいったい何だったのかも、結局物事がどう転がったのかも、何一つカヨに知らされなかった。
 爺の手当てを受け、巣に戻ってからも、藍の鳥は昨日までとは明らかに様子が違った。カヨが話しかけてもろくに言葉を発せず、何かを考え込むように険しい顔をしてばかりいる。

 そして今日、ずっと訝っていたカヨにも、その理由がようやく知れた。

「藍、どこ行くの?」
「……」
「沢? 山犬の親父殿のとこ? それとも問屋?」
「すぐにわかる」
 それ以降は何も言わず、暗に「黙っていろ」と言われているようだった。
 藍の鳥はカヨを背に乗せたまま、山から離れていく。

 待って。待ってよ。
 巣を移るのなら、支度が必要だよ。荷物なんて今は持っていないし、まとめてすらいないのに。

 カヨが信じたくなかっただけで、藍の鳥がどこへ向かっているのかわからないわけではなかった。
 しばらく飛んだ先に見えてきたのは、果たして、見覚えのある大桜の姿だった。
 やっぱり、と思う反面、どうして、という疑問が勝る。大桜の前に降り立った藍の鳥の背からおろされた時もまだ予想が違っていればと思った。現実を認めたくない一方で、カヨの心臓の鼓動は嫌に早かった。
 意識せず藍の鳥の袖を掴んだ手は、あっけなく剥がされる。ようやく見た藍の鳥の顔に、カヨは今までで一番困惑した。
 それは、まるで――
「藍……なん、で?」
「村はもう安全だろう」
「でも……」
「傷は癒えた。村も戻った。もはやお前を傍に置く理由はない」
 藍、なんで? なんでそんなに怖い顔するの? なんで、そんなこと言うの?
 あたし、何かした? ずっといい子にしてたつもりだよ。
 藍に迷惑かけないようにできるから。河童のおじさん直伝で魚を獲るのも上手くなったし、もう弓も引ける。勘定の仕方や目利きは問屋の女将さんに教わった。蜘蛛女郎の姐さんには糸紡ぎを教わって、織物も縫い物もできる。山犬の親父殿には肉のさばき方を教えてもらった。
 火も熾せるし、料理も薬も作れるし、藁を編むのだって、もうひとりで……。

 ―――ひとりで、生きなきゃいけないの……?

「いやだ……」
 至った結論に、何かを考えるよりも早く言葉が口をついて零れた。
「いやだ。藍と一緒がいい」
 縋ってみても藍の鳥の表情は変わらない。悪臭の煙と火の粉が巻き上がる中で見た、あの鋭い目の冷たい顔だ。
 くしゃりと顔を歪めてカヨは叫ぶ。
「やだ! 藍、一緒に帰ろうよ!」
「……もう妖には近づくな。見えても見えぬふりをしろ」
「でも藍は……」
「私のこともだ」
 藍は別じゃなかったの? だって藍はあたしを食ったりしないよね?
 今まで一緒だったのに、村が元通りになったからって必ず帰らなくちゃいけないことないよ。
「そんなのやだ!」
 今度の満月には、あたし、十三になるんだよ。みんなからお祝いしてもらうのに。きっと美味しいものも沢山貰えるし、山犬の親父殿は良い肉をくれるだろうから、ご馳走だよ。お酒は貰っても、藍がだめだと言うならあたしは飲まないから。
 これからはどんな言いつけだって守るし、迷惑はかけないようにする。自分の身も守れるようにするし、藍の役に立つように頑張る。いい子にするから。
「あたしは藍の娘でしょ! だったら一緒にいさせてよ!」
「ならん。お前は人の世で生きるのだ」
「やだ! 待ってってば、藍!」
「その名も二度と呼ぶな」
 感情のこもらない声でぴしゃりと言い放ち、次の瞬間には藍の鳥は高く飛び去ってしまった。もう聞く耳も持たないということか。
「やだ! やだ! 待って! 置いてかないでよ……、っ……」

 藍。

 呼ぶなと言われたことを思い出せば、名を呼ぼうとした声は出なくなってしまった。
 藍の鳥の言葉はカヨにとって絶対だった。拾ってもらった時から、今になってさえも。藍の鳥が撤回しない限りカヨは命令に従うしかないのだ。
 命令が気に食わない時には、カヨはいつも駄々をこねた。結局わがままが通らなくてカヨがふてくされながら藍の鳥に従うこともあれば、藍の鳥が折れて言葉を撤回することも多かった。その駄々も相手に届かなければ意味がない。
 カヨは打ち震えてその場に立ち尽くす。呼び止められぬまま、藍の鳥の姿はどんどん遠くなっていく。
「待って……やだよ……。あたしは……」

 あたしは、藍の……。

 もう姿は見えない。藍の鳥の飛ぶのが早いことはカヨがよく知っている。
 これが夢だったならどれほどいいだろう。嘘だと信じたいのに叶わない。
 いくらここに留まってその方角を見つめたところで、あの藍色の衣の姿が戻ってくるわけではない。いくらカヨが一緒にいたいと思っても、藍の鳥がだめだと言ってしまったから、そのまま行ってしまったから成す術がない。あの翼がないとカヨは空を飛べないのだ。
 さっきまでいた山への道はおろか方角さえもよく知らない。空を飛べばすぐでも、人の足で歩くとなるとまた別。想像以上の距離があるだろう。あれほど馴染んだ山なのに、どこに何の木の実があるとか魚の豊富な沢はどの方角だとかはわかるのに、帰り道は知らない。
 行くあてはただ一つ。
 カヨは振り返って、かつて暮らしていた場所を見下ろした。

「お前……」
 村人たちが集まる中、信じられないものを見る目で、進み出た男がそろそろと寄ってくる。
 顔には見覚えがある。カヨの家の近所に住んでいて、よく遊んでくれた人だ。
「与吉にいちゃん……」
「やっぱりカヨか!? お前、生きとったんか! 今までどうしてたんだ? ばあちゃんは……」
 与吉の言葉は途中から耳をすり抜けて、何を言っているのかわからなくなった。
 皆の視線が痛くて顔を上げていられない。カヨはうつむいて唇を噛んだ。

 なんでだろう。あたしは人の子のはずなのに。

 周りの人々は、知らない者もいるが、見知った顔が断然多い。間違いなく、カヨはこの村の子のはずなのだ。けれども人を見るのすら久しぶりで……だからだろうか、カヨは自分がここにいるのは場違いな気がした。
 脳裏をよぎるのは、あの山で知り合った人ならざる者たちばかりだ。森に抱かれるあの場所がひどく恋しい。
「この衣はどうしたんだ……こんな布見たことが……」
 袖を取ろうとした与吉の腕に気づき、カヨは反射的に躱した。
 途端に、苦しさが胸を突く。
「……っ、……」
 何が引き金だったのか。カヨ自身にもわからない。ただ、こらえきれなくなった。いっぱいいっぱいだったものがとうとう決壊した。
 喉元が苦しくて、息がしづらくて、抑える間もなく涙が溢れてくる。
 立っているのもなんだか辛く、衣を握ってその場にしゃがみこむとカヨの大好きな匂いが舞った。
「カヨ、おい、どうした!」
 頭の上から与吉の慌てる声や、周りの人の心配する声が聞こえたが、カヨは喉でつっかえてしまう息をするのに精一杯だった。
「どっか痛いんか? 怖かったんか? 酷い目に合ったんか?」
 息をするたびに、また涙が出る。
 与吉がそばにしゃがんで声をかけてくれるものの、問いかけはどれも違う。カヨはただただ頭を振って、与吉を困らせた。
 カヨが言わなければ、どうして泣いているのか与吉もみんなも知りえない。けれど、こんな自分の変化など言えっこなかった。
 与吉が近づいた時、いっそう人の匂いがして、カヨはそこでやっと気がついた。
 人は「人の匂い」なんてわからない。わかるはずもないのだ。
 カヨは、あちらの世に留まりすぎてしまった。藍の鳥と長く居すぎてしまった証拠だ。
 この場所は人の匂いばかりが立ち込めていて居心地が悪い。妖の匂いも山の匂いもしない。人の匂いだけ。
 藍の鳥がくれた衣には、まだ匂いが強く残っている。それがふとした拍子に風に香るから、人になんか(・・・・・)触れて欲しくなかったのだ。
「可哀相に」
「辛い思いをしたんだろう」
 なにも知らない村人たちが同情して口々に言う。
 丸まったカヨの背に、与吉の手が優しく触れた。
「もう大丈夫だからな。また村で暮らせるから。泣くな、な?」

「うるさい。泣くな」

 背をさする手が、いつかの日と重なった。その手の大きさも、形も、温度も、さする強さも、何もかもが違いすぎて、また目が熱くなった。
 どれだけ泣こうとこの先二度と戻ることはない日々。
 あの時のように、その鋭利で優しい手を握ることはできないのに。

〜 * 〜 * 〜 * 〜

 今年の花を散らせ、若葉をつけだした大桜のもとに、一羽の藍の妖鳥が舞い降りた。
 妖鳥はいつものように藍の衣をまとう男の姿に変化する。舞い降りた拍子にざわりと枝葉が揺れるも、その姿を目にできる者はその場にはいなかった。
 並木道には、桜菓子や桜湯を作るのに花や葉を少し頂戴しようと村娘たちが籠を抱えてやってきている。皆が気にも留めない中でただ一人だけが、桜の精と言葉を交わすその男の姿を遠くからそっと見つめていた。

「心配せずとも、あの娘なら病もなく元気にしているよ。ほら、あそこに」
「……ああ」
「あの衣はそなたが与えたものだろう。人には持てぬ代物だ。あれと神隠しの噂で、どこぞの地主の若旦那に気にかけられているそうだよ」
「そうか」
「冬には縁談がまとまりそうだ、と皆が言っている」
「……そうか」
「……悔いているのか」
「いや。人など我らの命の前には儚すぎる。これでよかった」
 桜の精はそっと妖を見やる。横顔には特に感情は見られなかった。
 言葉の途切れを見計らったように、風が木々を揺らした。少しためらった素振りを見せて、今度は妖が口を開く。
「今度――」
「ん?」
「今度、嫁御を貰おうと思う。同族の、ある娘に気に入られてな。どうにも離れんのだ」
「それはそれは、めでたいことだが……そなたが諦めるほどとなると相当に押しの強い娘であろう」
「そう笑うな。……私もそろそろ番いとなる歳ではあるからな」
「いや、すまない。めでたいことだ。祝福しよう」
「また、お前にも会わせる」
 楽しみにしているよ、という友の声を聞きながら、妖は再び視線を並木へと向ける。視線の先にはいまだに娘の姿があった。こちらを気にしつつも時折そばにいる村娘たちと歓談している。
 花と葉を摘み終えて、最後とばかり、親しんだその目がこちらを見据えた。
 いっそ見えぬようになればいいものを、一年が経った今でも娘の視線は揺らぐことなく妖のそれと交わる。

 見えぬふりをと言ったのに……。

 妖は瞼を固く閉ざすことで、縋るような眼差しを無理やり断った。娘はしばらく留まったが、他の娘たちに声をかけられ、ようやく背を向けて歩き出す。
 再び目を開きその後ろ姿を見とめた妖は、自分の許から巣立たせた娘に向け、静かに風に言葉を乗せた。

 ―――― ああ、どうか        ――――。

 廻り廻るこの季節 命は日の輪に輝ける

 嘆きの鳥が拾いしは 戦が遺す()の童

 (おの)が娘に世を見すべしと 青の羽音は木々に飛び 薫風奏でる()りの歌

 寄る辺を求め縋る手を 取りても往く世は交わらず 払う痛みは()がためか
 過ぎし時など夢のごと

 ああ 今焦がれる夏が廻り来る

 今は昔
 藍染めの鳥の物語


******
以下 アトガキ (反転)

いや、連作にするつもりはなかったんですが……
でも「桜」が書きあがる前に、夏(と他)のアイデアが出てしまったもので。
ということで、季の語りシリーズ第二弾、「夏」でございます。

今回のイメージ曲は、ぶっちゃけ神隠しだよね&人ならざるモノの世に踏み込む、ということで「あの夏へ」。日本製の某有名アニメ映画の冒頭で流れるBGMです。

ここまで読んでくださってありがとうございました!

 2013. 8/31
◇Photo/ NOION
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