大桜のもとを離れた藍の鳥は、巣へ戻る前についでだからと問屋の女将のところへ用事を済ませに立ち寄った。猩猩の爺の頼まれ事で大した用ではない。あまり市には来ない爺の使い走りはよく頼まれるのだ。
「また御贔屓に」
「ちょいと、藍の鳥の旦那」
 言われた通りのものを受け取り、勘定を済ませたところで、店の奥から黒狐の女将が出てきた。
「女将。今ちょうど暇しようとしたところだ」
「ああ。呼び止めてすまないけど、伝えとこうと思ってね。お前さんを捜していた娘がいたよ」
「娘?」
「カヨよりもっと年上の、お前さんと同じ妖の娘だ。覚えはあるかい?」
「……一人だけ、同族の女が」
 昔に人の罠から助けてやったあの芳妥枝だ。
 結局あれからもしつこく追い回すので仕方なしに礼とやら(珍しい生地の帯と遠地の酒だった)を受け取ってやると、芳妥枝はすんなりと自らの巣に帰り、以来、顔見知りとして時折り言葉を交わす程度の仲だ。
 それがなぜまた……。
 女将は探るような目で見つめながら、手にしていた扇をくるりと指で回して弄んだ。
「その娘が、お前さんに用があるとかで居場所を聞きまわっていたよ」
「用など知らんぞ。それほど親しいわけでもない」
「そうかい。なんだか危急の様子だったもんでおかしいと思ってさ。巣を教えてくれって言うから……」
「答えたのか?」
「まさか。信用ならないからうちの者には口止めしておいたけどね。ここら一帯に聞きまわってりゃ誰かが教えてるかもしれない」
 腹に冷たいものを感じた刹那、女将への礼も別れもそこそこに藍の鳥は店を飛び出した。何事かと驚く妖たちなど気にも留めず、変化を解いて空へと舞い上がる。

 しまった。こんなことなら連れていればよかった。
 巣には今、カヨが一人だ。

 藍の鳥が出ていってしまってから、カヨは暇潰しにと麻織りの続きに取り掛かった。
 できた反物は新しい腰巻にするつもりなので色も柄もない。つまらないといえばつまらない仕事だ。ただ単調な色の布を織るだけ。頭を使うこともせず同じ作業を繰り返すのはあまり好きではない。
 大した仕事のない頭はどうしても色々なことを考え始める。今はもっぱら藍の鳥のことだ。
 いったい、藍はどうしたんだろう。
 考えてみてもカヨにはわからなかった。わかるとすれば様子がなんだか変だったということくらいで、その理由がなにかはさっぱりだ。
 巣を飛び立つ前の藍の鳥の顔が、頭から離れない。怒るでもない、悲しむでもない、あんなに複雑な表情は初めて見た。藍の鳥に拾われてからこの方、藍の鳥の表情でカヨが不安を覚えることなどなかった。
 だから、本当は行ってほしくなかった。それかカヨもついて行きたかった。
 無性にざわつく胸は、未だに収まる気配がない。
「藍、早く帰ってこないかな……」

 余計なことを考えないように麻織りに専念してからしばらく、ようやく長さが足りるほど織れた頃、ふと羽ばたく音が聞こえた。
 藍の鳥が帰ってきたものだと思ったが、違和感がある。それが聞きなれた羽音でないからだということに気付いたのは、羽音の主が巣に到着してからだった。
 突っ込むように巣の入り口に飛び込んできたのは、藍の鳥とよく似た服装の妖だった。
「藍冴! いるか!?」
「……!?」
 ずいぶんと急いだ様子で巣を見渡した妖とカヨの目が合う。高い声と容貌から女らしいとわかる。
 カヨを見とめた女は訝しげに顔をしかめた。
「なぜ人の子が藍冴の巣にいるんだ?」
「藍冴?」
 聞きなれない名前を繰り返すカヨを、女は煩わしいと言いたげなしかめっ面のまま見据えている。
「ここの主だよ。どこへ行った?」
 よほどの急ぎの用なのか、焦れているのが早い口調にも現れている。
「あ、藍なら、今は出かけてるけど」
「どこに行ったかは知らないのか」
「知らない……」
 主は不在だと伝えると、女の顔は苦々しく歪んだ。
 ぶつぶつと口の中で何かを呟きながら忙しなく動いていた妖の目が、ぴたりとカヨの腰で止まった。
「その帯……」
「え……?」
 じっと一点を凝視していた妖は、ぎろりと睨みつけてきた。ぞっと背筋が粟立ち、緊張がカヨの手足を縛りつける。
 この感覚は久々だ。刃のように鋭い明らかな殺気。
「小娘、その帯はどうした」
「これは、藍が布を……」
 かろうじてカヨはそれだけを喉から絞り出した。
 いつだったかは定かではないが、ある日、藍の鳥が持って帰ってきた布をカヨに寄越した。カヨの好きにしていいと。色も柄も綺麗な布で、気に入ったカヨはそれを帯と羽織に縫って使うことにした。これはその帯だ。
 それがいったいなんだというのか。女には関係のないことではないか。
 ところが、カヨの返答を聞いた女は憎々しげに鼻筋を寄せ、カヨを睨みつける。
「あんたは、藍冴の何なのさ」
 問いかけられて、今度は言葉が出なかった。

 あたしは、藍の……何?

 瀕死の子供を拾って育てた妖。妖に命を救われた人の子。そもそもの関係は、命の恩人と助けられた者だった。
 あれから五年も一緒に暮らしているが、さて、自分たちの関係とはいったいなんだろう。
 藍の鳥はカヨとって養父のようなものであり、失った家族の代わりともいえる大切な存在だ。

 大切で、それで……?

 カヨの返事など端から聞く気はなかったのか、女は応えを待たずに低く唸った。
「いやしい小娘め、人の分際で妖を惑わすか」
「ひっ……!」
 カヨが我に返った時には、女はすでに間合を詰めていた。
 藍の鳥と同じ、鳥の足の形をした大きな手がカヨを捕える。
「痛い!!」
 腕を掴んだ女の力は驚くほど強かった。骨が軋むような嫌な感覚に恐怖がせりあがる。
「やめっ、やだ! 離して!!」
 腕を振り回して暴れるカヨの力など、妖である女にはたかが知れている。腕を振りほどくことは叶わず、カヨは半ば吊り上げられて引きずられるように岩穴の入り口に連れられる。
 嫌な予感がした。
 眼下には絶壁の岩場。いつも藍の鳥に連れられて飛び立つ時は意識しないが、改めて覗き込むとこの巣はずいぶんと高い位置にある。
 吹き込んだ風が汗ばむ頬をするりと撫ぜた。頭の芯が冷え、掴まれた腕の痛みも忘れる。
「空も飛べんくせに」
 視界がぶれる。
 強い力でもって放り出され、踏みとどまる隙も与えられなかった。
 体が傾ぎ、足が地を離れた。勢い余って体が回り、空と、岩壁、そして岩穴から見下ろす女が見える。

 助けて……!!

 巣へ戻る途中、思わぬ邪魔が入った。
 突然、藍の鳥の進路を遮るように、何かが木々の合間から飛び出してきた。鋭い鉤爪をすんでのところで避け、藍の鳥は近くにあった木に降り立つ。
 邪魔してきたのは同族の男だ。見知った顔ではない。
「貴様が藍の鳥だな。芳妥枝はどこだ」
「……なぜ、それを私に聞く」
「隠すな。差し出せ」
「居場所など知らん。私は急ぐのだ」
 突進してくる男を躱し先へ進むも、またしても別の男が躍り出てくる。そして言うことには「芳妥枝はどこだ」と。
 それが三度も続けば藍の鳥もいよいよ我慢がならなくなってきた。
 こちらは急いでいるというのに、次から次へと邪魔ばかり。一度躱した相手は、別の相手に足止めされるうちに追いついてくる。とうとう藍の鳥は四方を囲まれ、留まらざるを得なくなった。
「貴様が藍の鳥だな、芳妥枝は――」
 四人目も、先の三人とまったく同じ文言を連ねる。
 揃いも揃って、芳妥枝、芳妥枝、芳妥枝!
「芳妥枝など知らん! 私は急ぐのだ! 邪魔をするな、退け!!」
「ならん!」
「謀るな! 芳妥枝が貴様の名を挙げたのだ!」
 藍の鳥の咆哮に、負けじと男どもが吠え返す。
 芳妥枝――あの女、いったい何をしでかしてくれたのだ。
 巣の場所を聞きまわり、挙句この男ども。いったい何が目的か。カヨを巣に残してきたこんな時に限って。芳妥枝はカヨのことは知らないはずだが、まさか知っていて狙っているのではなかろうかと思えてくる。
 どちらにせよカヨの身を案じるなら一刻も早く巣へ帰らねばならない。
 藍の鳥はぎりと歯を噛み締めた。
「ならば芳妥枝がなんだと言うのだ!」
「貴様、この期に及んで白を切る気か!」
「芳妥枝は貴様と番いになると言っておったぞ!」
 予期せぬ言葉に、藍の鳥は金色の目を見開く。
 そして、これだけしつこく食い下がってくる男どもにようやく合点がいった。定期的に現れる芳妥枝以外の同胞とはあまり馴れ合わなかったせいだろう。すっかり失念していた。
 繁殖の時期が来ていたのか。

 藍の鳥たち――ジョウトウと呼ばれる妖鳥には、数十年に一度の周期で番いを選ぶ時が来る。
 伴侶選びは男女ともに好みの異性に求愛し、された方は気に入った者を選ぶというもの。男女比から基本的に女の側に優先的な選択権がある。
 ただし、複数の男、あるいは女が一人の異性に求愛した場合、候補同士で争うことになる。この争いの勝敗が重要で、たとえ相手に選ばれても争いで負けた者は番いとなる権利を失い、逆に選ばれなくても恋敵を皆打ち負かしてしまえば自分一人だけが候補として相手を口説くことができる。どうしても相手が了承しなければ、また一からやり直し――再び争う。場合によっては何度でも。
 命を落とす者もいるほど苛烈な争奪戦であるが、男女問わず同性同士の争いは必須と言ってもいいほどの高確率で起きる。そして藍の鳥のようにその気がないのに巻き込まれることも多い。

「芳妥枝め……」
 藍の鳥は憤る男どもを睨んで低く唸った。
 何をどうしてそうなったのか、芳妥枝が藍の鳥を選んだせいで男どもは恋敵を叩きのめしにきたというわけだ。この様子では芳妥枝はよほど人気と見える。
 よくも巻き込んでくれた。
「芳妥枝が貴様の名を挙げた以上、逃げることは許さん!」
「貴様さえ倒せば芳妥枝も心変わりするだろう!」
「候補を降りてもらう!」
 くだらん。
 喚く男どもを侮蔑し、藍の鳥は人型の変化を解いた。それを合図に男どもも本性を現し、一斉に飛びかかる。
 五体の妖鳥が木々を薙ぎ払い、高く鳴きながら空へ舞いあがった。
「芳妥枝がなんと言おうと知ったことか」
 今は一刻も早く、カヨの許へ。

 あまりのことに声も出ず、成す術なく落下するだけだったカヨは痛みを覚悟して目を瞑った。
 地面に叩きつけられるのはさぞかし痛いだろう。骨が折れるかもしれない。いや、きっと頭を打って死ぬのだ。

 もうすぐ十三になるはずだったのにな。

 そしてカヨが最期を覚悟した時、
「おっと」
 軽いそんな言葉とともに打撃が背中を襲った。衝撃で一瞬息が止まりかけるも、思ったより痛くない。気持ちの悪い浮遊感が止んでいる。
 まだ意識がはっきりしていることに気づき、カヨは再び目を開けた。
「……っ」
 眼前にあった猿顔に驚き、カヨは息を飲んだ。と、すぐに近くから呼ばわった声に顔を向けると、木々の上ににんまりと笑んだ皺だらけの顔を見つけた。こちらには見覚えがある。
「爺!」
 カヨを受け止めた猩猩と同じように別の猩猩に抱えられた爺はかかかと笑った。カヨは抱えられたまま爺のところへ連れられる。
「おう、災難だったなぁ、カヨや」
 よしよしとカヨの頭を撫で、爺は藍の鳥の巣穴から鋭い目でこちらを睨む女に目を向けた。
「まったく、お前ら種族ときたぁ、色沙汰んなっとすぐ血ぃのぼんだからよぅ」
 女は苦虫を噛み潰した顔で咆えた。
「何故その小娘を助ける! そいつは人の子だろう!」
「芳妥枝の娘っこ、わしを怒鳴る前にまず感謝しな」
「なんだと?」
「カヨは確かに人の子だがな、あいつが大事んしとる娘じゃて。下手すりゃお前さんが殺されったとこよ」
 あいつぁ短気だからなぁ、と笑う爺に、相変わらず険しい女の顔がわずかながらに強張った。
「なんならあいつに訊いてみな」
 ほれ来おった、と爺が差す先に、藍色の鳥が向かってきていた。

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◇Photo / NOION
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