小さい頃から、大人たちに見えない変なものはたびたび見た。天井の隅っこや縁の下など家の暗がりにいるそれを教えれば、ばあちゃんは、それは妖だ、家にいるのは放っておけば何もしないよと言っていた。

 カヨは他の人には見えないものが見える。だから、村のそばの大桜が咲く頃、いつもその木の上にいる二人も知っていた。一人は桜色の、もう一人は藍色の人。桜色の人は、花が咲く間はずっと木にいるから、きっとみんなが言う咲花御前さまなんだろう。藍色の人はわからなかったけど、ばあちゃんは、きっと咲花さまのご友人だよと言った。

 戦で村が焼かれた時、大桜さまに助けて貰おうとカヨはあの丘に向かった。途中、背を切られてもうだめかと思った時、現れたのが藍色の人だった。

「ねえ、藍。咲花御前さまとはお友達なの?」
 何の前触れもなく、何気なしに問われて、意図せず体が強張った。止まりかけた手をまた動かし、問うてきた童を一瞥する。
「そうだな。大事な友だ」
「そっか」
 ただ訊きたかったのはそれだけらしく、またカヨはきゃっきゃとはしゃいでいる。藍の鳥はそっと息をついた。
 もう春は終わる。例年通り、藍の鳥は春の間だけ使うこの巣から、東にある本巣へと移ることにした。あちらの山なら知り合いも多いし、夏から秋にかけて冬を越すだけの食い物も蓄えられる。人も立ち入らぬ大きな山なので、妖が多く棲みついており、見世もあれば市も立つのだ。
 カヨは、新たな場所へ行くのが楽しみらしい。さきほどから忙しない。
「藍! 雨の匂いがする!」
「急ぐか」
 確かに風が匂いを運んできている。わずかな荷物を抱えたカヨをおぶって、藍の鳥は飛び立った。

「あ! 降ってきた! 降ってきたよ、藍!」
 藍の鳥の背でばたばたと童が暴れた。しきりに首を叩く手が少々煩わしい。
 言われんでもわかっている。
「暴れるな、掴まっておけ」
 顔を叩く雨粒が増える中、藍の鳥は更に速度を上げた。そうして、なんとかかんとか雨雲の下から逃れて、雷には合わずに済んだ。
 山中の崖の岩場に開けた横穴が、藍の鳥の本巣だ。雨や冬の風を少しでも寝床から遠ざけるため、奥へ少し曲がっている。
 巣の入り口に飛び込んで、藍の鳥は人型に変化すると大きく肩で息をした。カヨは幼く軽いとはいえ、童を乗せた状態で十数里の距離を全力で飛翔するとさすがに疲れる。
 ぼてりと背から落ちるように降りたカヨが、抱えていた麻袋を脇に放り出す。こちらも落とされまいとしがみつくのに必死だったようだ。
 背中があいたので、藍の鳥はようやく腰を落ち着けて岩壁に背を預けた。
 たちまち後を追ってきた雨が強まり、山の静けさを奪った。刹那の光が空を覆い、数秒の後、凄まじい轟音が鳴り響く。
 カヨがびくりと体を震わせたのを目の端に捉えたが束の間、未だ大きく呼吸する藍の鳥の脇腹に衝撃が走った。深く吸ったところだったので息が詰まる。
 咳き込みながら見やればカヨがしがみついている。
「なんだ」
「……」
 返事はない。しかし、また雷鳴が鳴り響くと、いっそうカヨの体が縮こまった。衣を掴む手に力が入るのが見て取れる。
 雷が怖いのか。妖を恐れんくせに。
 未だ、この童がよくわからん。
 引き剥がそうかこのまま置こうか藍の鳥が考えているうち、カヨがか細く声を出した。
「ばあちゃんがね……」
 懐に顔をうずめたままカヨが喋る。雨の音にかき消されそうなその声を拾うため、藍の鳥は少しだけ顔を近づけた。
「言ってたんだ……かみなりさまは、とっても気まぐれだって」
「お外にいる人を見つけたら、空に連れてくんだって」
「ごろごろ言っている時は、かみなりさまの機嫌が悪い時だから、絶対に外にでちゃだめなんだって」
 その時、また光とともに地をも揺るがすような音がとどろいた。
「……かみなりさまはね、コメには優しいんだ。コメもかみなりさまが大好きだから、かみなりさまがよく来る年は豊作になるんだって……」
「そうなのか」
「でもね……かみなりさまは、カヨにはやさしくなかったよ」
 カヨのとうちゃん、かみなりさまに、空に連れてかれたんだ。

 止まない雷鳴から顔をそむけ、体を隠すようにカヨが縮こまる。
「藍は連れてかれないでね」
「……言われんでも行かん。かみなりさまなどいなくとも私は空を飛べるからな」
「……そっか……そうだね。よかった……」
 轟音と雨は徐々に薄れ、遠のいていく。気まぐれなかみなりさまとやらは、もう機嫌を直して立ち去ったようだ。

「藍! クモの巣いっぱい!」
「クモは殺すな。そいつらの主人が怒る。外へ追い出せ」
「はーい」
 草を束ねたものを箒替わりに振り回すカヨは、雷が止み、雨が上がればもうけろりとしている。
 カヨが乱暴に掃くせいで巣の中は砂埃が舞い上がる。岩場の入り口で、藍の鳥はは袖で口元を押さえながら、眉をしかめた。
 顏は布で覆わせておいたが、あとで水浴びをさせねば。これではカヨが砂まみれになる。
 春の間だけ空けていたとはいえ、使わなければ巣は汚れる。主人が不在の間に勝手に雨宿りして、しかも置いておいた道具を持っていく輩もいる。避難もかねて必要な物を取りに行くかと藍の鳥が決めるのは早かった。
「カヨ。私は必要な物を取ってくる。掃き終わったら大人しくしていろ」
「はーい」

 藍に連れてきてもらった新しい巣は、最初にいた巣に比べて幾分か広かった。居座っていた虫たちや砂を掃き出すと、下はひんやりとした石で、足の裏に心地よい。
 藍はむしろを持って来たり、どこからか枯れ枝を運んだりと忙しく巣に出入りしている。今度は巣の外を見てくるそうだ。
 することがなくて暇だが、ただ大人しくしていろ、と藍は言う。
 仕方なく、カヨはごろりと横になった。

 いつの間にか瞼を閉じていたようだ。
 ざり、と砂が削れる音がした気がして、意識が浮上する。眠りかけていたカヨは、なんだろうと振り返ったが、入り口には何もない。
 カヨは伏せったまま息を殺し、耳をそばだてた。  ざり……ざり……。
 やはり音は聞こえる。止む気配はない。
 様子を見ようと身を起こしたカヨの顔は、ぬっと現れた影に、一瞬にして強張った。
 トカゲだ。それも自分より大きなやつが、紫の舌をちらつかせながら、岩穴をふさぐようにして中を覗き込む。

 妖だ……!

 ぎらぎらと飢えた目がカヨを捉えて鎌のように細まる。かすれた笑い声が巣穴に響いた。
「鼠さえいればよかったが、まさか人間の童とは。久々の馳走だ」
「……っ」
 ずるり。トカゲが巨体を穴の入り口にねじこんだ。長い舌を舐めずり、口が引き裂ける。
 体をすくませたカヨは、見開いた目をトカゲから離さないまま後退る。
 どうしよう。藍を呼ばなくちゃ。喰われてしまう。
「……っ、……!」
 藍を呼ばなくちゃいけない。
 なのに、恐怖で喉が凍りついてしまい、口を開いても漏れるのはあえぎばかりだった。
「なに、大人しくしておれば痛くはない。頭から一呑みにしてやる」
 後退るうちに何かにつまづいて、カヨは尻もちをついた。後ろについた手に触れた大きめの石を投げつけるが、勢いもないそれはいとも容易くはねのけられる。
「そんな石ころが効くものか。大人しくこっちへ……っ?!」
 ふいに穴の中が暗くなった。一瞬のことだ。トカゲの肩に何かが掴みかかり、外へと引きずり出したかと思うと、もろとも下に落ちていった。
 穴の入り口には、トカゲの抵抗した爪痕が残る。

 今のは……藍?

 トカゲを掴んだのは、鳥の足に見えた。
 外から、鋭い泣き声が立て続けに上がる。
 気にはなるけれども、恐ろしくてカヨは穴の外を覗き込むことはおろか、その場から動くことすらもできなかった。ただへたりこんで、じっと息をひそめる。声が聞こえなくなるまで、やけに長い時間そうしていた気がした。
 しばらくして、穴に入ってきたのは藍の衣の男だった。強張っていた体から急に力が抜けて行く。
「藍……!」
「カヨ、無事か。どこも喰われていないか」
「藍、トカゲ、でっかいトカゲが!」
 藍の言葉も聞かないで膝にすがりつくと、袖に隠れた手が頭に乗った。
「もう去った。騒ぐな」
「ふ……っ、うええ……」
 安心したはずなのに泣きたくなり、ぼろぼろとカヨの頬を涙が伝った。
 面倒そうな溜め息が頭上から落とされる。ごつごつとして大きく、ひんやりした手が、荒っぽく背をさすった。
「うるさい。泣くな」

 昼間の妖がよほど恐ろしかったのか、カヨは藍の鳥のそばをついて離れない。川へ行った時も、その後で食い物を探している時も。
「藍」
「いいから早く寝ろ」
「でも……」
 今でさえ寝床に入ったはいいが、藍の鳥の衣にしがみつき、暑苦しいことこの上ない。それに、こちらがまどろむ頃になると、その度に「もう寝たか」と聞いてくる。眠れるわけがない。
「昼間に来たのにその夜に来るものか」
「そんなのわからない!」
「やかましい。叫ぶな」
「だって……」
 面倒な。童のくせに眠らんとは。
 そもそも藍の鳥はそれほど気が長いわけではない。そろそろ我慢ならなくなり、藍の鳥は人型の変化を解いた。
「わっぶ」
 人型の時でさえ藍の鳥は人の子より一回りは大きいが、本来の姿はその人型よりもはるかに大きい。寝床には少し窮屈だが、仕方あるまい。
 突然大きくなった藍の鳥の体に押され、奇声を上げたカヨが羽毛を掴み、胸のあたりに痛みが走る。
「藍? なんで変化したの?」
 ばかもの、こちらが本性だ。そう思ったものの、返事はしないでおいた。
 この姿では薄明りの中ですら目が役に立たない。そばにいるカヨを踏み潰さないように位置を変え、藍の鳥は慎重に体を下ろした。
 そこがまさに意図した場所、カヨのくぐもった声が、たたんだ翼の下から上がる。体の下敷きにせずにすんだようだ。
「ふかふか! 藍のおなか、ふかふか!」
「これならトカゲが来ても見つけられまい。早く寝ろ」
 カヨはしばらくもぞもぞとしていたが、ちょうど良い場所を見つけたらしく、翼と腹の合間に挟まって落ち着いた。そして、藍の鳥の(あしゆび)の一つを握りつつ、すぐさま寝入ってしまった。
 童の体温は高い。掴まれた場所だけが妙に熱いが、振りほどくこともできないので藍の鳥もそのまま目を閉じた。
 そういえば、いつの間にか、この鉤爪すら怖がらなくなっていたようだ。

 前頁 / 次頁

◇Photo / NOION
HOME > NOVEL