ああ、地獄のようだ……。
 藍の鳥は眼下を見下して、そう思った。
 かつて穏やかな陽に照らされ、青々とした草原と田畑があったそこは、今は見る影もなく焼け野と化している。村も焼かれ、上を通った時には異臭の漂う何かがいくつも横たわるのが見えた。
 戦は恐ろしい。憎しみに心を失った人が鬼と化し、こうも容易く同族を、糧となる田畑を焼き払う。草木、鳥獣、虫でさえも、罪なき命であるというのに殺してしまう。
 この様子では、友の無事が危ぶまれる。

 花雪。どうか……。

 村を過ぎた先の小高い丘に、その影はあった。一際大きい一本の木。
 藍の鳥は羽ばたく速度を上げ、一直線にそこへと向かった。
「花雪!」
 藍の鳥は、その鋭い眼を悲痛に歪めた。
 友は、最後に見た美しさを欠片も残していなかった。黒い木肌に命は感じられぬ。しめ縄は灰を被り、薄汚れ、風になびいていた紙垂は焼けている。
 路は汚され、土が死んでいる。並木もすべて、枝が折れ、焼け、枯れていた。
「花雪、花雪! 聞こえるか? 私だ、藍の鳥だ。返事をしてくれ」
 藍の鳥は大桜の周りを旋回し、呼びかける。

「ああ、藍の鳥。来たのか。久しぶりだね」

 その声がない。姿が見えぬ。
 藍の鳥は叫びたくなるのを堪え、大桜の周りを旋回し続ける。
 枯れてしまった。
「朽ちるなと言ったのに……。また春に会おうと……」
 枯れてしまった。
 幾百年と、人では果たせぬ長きにわたり、この地で時の流れを見守ってきた命が……。我らの世でも尊きものであったその命が……。
 苦痛に歪んだ目に枯れ木を写し、藍の鳥は崩れ落ちるように地に降り立った。
「おのれ――」
 尊きものと奉り、多くの加護を請うたにもかかわらず、こうも易々と命を奪うのか。
 大桜は祀られるまま、嫌がることも飽くこともせず、律儀にも人の想いを聞き、健やかにあれと願って見守っていたというのに。
 大桜は――花雪は、なにもしていないと謙遜していたが、事実、花雪がいたからこそ、妖怪どもは人里におりてきて田畑を荒らしたり悪さを働いたりしなくなったのだ。花雪が諭したからこそ。
 あの当時は、村の者が総出で花雪のおかげだと感謝して拝んだほどであったのに。
 それでなくとも、毎年毎年、花雪の咲かせる花は人の心を慰めていたというのに。
「人間どもめ……!」
 花雪が与え続けたものを、人は忘れてしまったのか。
 なんと愚かしく身勝手なことか。
「花雪が何をしたというのだ……!」
 藍の鳥の体を怒りが駆け巡る。
 憎らしい。人が憎い。死んでしまえばいい。花雪のように、苦しんで死ねばいい。殺してやりたい。花雪を殺したように。
 怒りが憎悪へと変わるその時、思い出す光景があった。

「花雪。人の願いなぞ聞いていて楽しいか。こいつらときたら、やれ豊作が、やれ息災がと己のことばかり……」
「人の子とはそういうものだ。弱く、何かに縋らなければ不安なのだろう。 私がただ聞くだけでその不安を拭ってやれるなら、私はそうしてやりたいよ」
「不安であったり悲しんでいたり、怒っていたりする顔よりも、私の花を見て綻ぶ顔が一番人の子らには似合うのだよ。藍の鳥。そなたが微笑む姿の美しいように、彼らの笑顔もまた美しい」
「私は彼らが愛おしい」

 ああ……なぜだ……。なぜ今、その顔を思い出すのだ……。
 花雪め。これでは、お前の仇も取れんではないか。

 地を掴んだ妖の手に静かに滴が落ちる。あっけなく土に吸われて消えてゆく。
 人には聞こえない悲哀の咆哮が、高く、高く、戦場の煙にくもる空に伸び、そうして誰にも知られず消えてしまった。
 地に落ちた水跡とて、気づく者などいないだろう。

 光が見える。暖かい陽の光が。
 ――春が来たのか。
 ならばもう起きる頃だ。少し寝過ごしてしまった。

 春が、来ている。間違えはしない、この気配……。
 なのに――なのに、なぜ動けぬのだろう……。

 ああ、春が終わる。私は未だ動けぬままだ。
 戦はもう終わったのか。村はどうなったのか。ハルは北の地よりここへ戻ってきたのか。藍の鳥は無事であったのか。我が身はどうなったのだ。
 何一つわからぬ。光と季節の気配の他に、感じるものは何もない。
 何も見えぬ、何も聞こえぬ。
 体は重い。重くて、重くて、枝一つとして動かせぬ。

 また春の光と気配がやってきた。けれども私は動けぬ。
 次の春が来たときも、やはり動けなかった。

 私は――私は、死んだのか……?

 今や視界は暗いまま。もう春の気配すらも感じられなくなってきた。徐々に遠のいていく気配は、ともすれば次には消えてしまいそうだ。

 目覚められなくなってから、幾年が経つのか。
 暗い中に一人きりで立つ。目を閉じ、また開き、しかし望んだ景色は映らぬ。
 ああ、こんな心地は初めてだ。あの男が若木の私に触れたときから、目覚めて花を抱いた私の周りには人の子らがいた。鳥も、虫も、動物も。人ならざる者も。命が必ず、この目の届くところにあった。
 孤独になるのは何百年ぶりで、遥か昔に一人であった頃の記憶も感覚もとうに忘れてしまっていた。あの頃は、まだこれほどまでに豊かな感情すら持っていなかった。
 この心地も――冬の寒さが身の内に忍び込むようなこの心地。これが、心寂しいというものなのだろう。
 このまま消えてゆくのが、死というものなのか。
 いつ朽ちるともわからぬから、戦に焼かれようとも天命と受け入れよう。そう確かに思っていた。
 しかし、いざ死を間近にすると、ああ、どうしたことか。
 やはり少し、この世が惜しい。

「俺たちの村が……」
 戦は終わった。勝ち負けなど知るわけがない。そもそも誰と誰の諍いが原因だとか、どこの国とどこの国が争ったのかすら曖昧なまま、すべては終わった。
 逃げ延びた者、生き延びた者たちは、当然のように自分たちの村に戻ってきた。そして、惨状を目の当たりにし、ただただ言葉を失った。
 自分たちの知るかつての景色とはあまりに違っていた。
 村の惨状はもちろんだったが、村人たちの衝撃に拍車をかけたのは、村から続く並木路とその先にあったご神木だった。
「咲花さま……っ!」
「そんな……」
 誰かが悲鳴を上げ、誰かが息をのんだ。
「祟られる……」
「馬鹿を言うな! 咲花御前さまが祟るわけがない!」
「けれど、ご神木がこんなんじゃ……」
 誰かの畏怖の囁きが聞こえ、それを叱る声が飛ぶ。
「まだ枯れてはいないかもしれない」
 そんな期待の声も意味のないもののように聞こえてしまうほど、村人らの心は打ち砕かれていた。
 それでも大桜をなんとかして救おうと決めたのは彼らの総意だった。自分たちの祖父母の、その祖父母の、さらに何代も前の先祖の時代から、村を見守ってきてくれたご神木を簡単に見捨てられるわけがなかった。村の復興を進める傍ら、人々は欠かさずに大桜の世話をした。
 けれども、戦から数年たっても桜が春になって花を開くことはおろか、蕾すらつけることはなかった。
 村は徐々に元通りになっていったが、大桜だけはだめだった。庭師を呼んで様子を見てもらい、時には祈祷師も呼んで土地と桜を清め、御霊を鎮めたが、功をなすことなく時間だけが過ぎる。並木の桜も同様に元気になる様子は見込めなかった。
「今年もだめか……。咲花さまも……並木も……」
「この並木の桜は、咲花さまの子だからな……。咲花さまがだめなら、こっちもだめかもしれん」

〜 * 〜 * 〜 * 〜

 気づけば、一面の闇でしかなかったその場に仄かに光る道ができていた。道の先は、闇の向こうに消えて見えぬ。
 これは何処へ続いているのか。そんな思いから、桜の化身はそっと道を辿る。
 しばらく行くと、ぽつり、ぽつりと灯火が辺りに見え始めた。炎の色は赤であったり、青であったり、はたまた緑であったりと様々だ。
 いくつもの灯火を見るうち、よくよく目を凝らすと、それが人や動物や、妖であることに気がついた。皆、一様に同じ方向へと向かっている。唐突に理解した。  ここは、彼岸へと続く道なのか。
 死ねば、皆が同じように同じ場所へ行くのか。
「やや、もしや、桜が丘の大桜さまではありませんか?」
 そんな声を聞き、そちらを見やれば、衣を纏い二足歩行をする猫がいた。毛は灰色と黒の虎柄だ。
「いかにも、私は桜の木だよ」
「ああ、やはり。……そうですか、大桜さまもあの戦で枯れてしまったのですね」
 猫は瞼を伏せ、衣の袖で口元を押さえた。
「そなたもか?」
「ええ。わたくしは桜が丘のふもとの村に棲んでおりました。これでも人に大切にされて五十年、幸せに暮らして参りましたが、天命であったようです。……ああ、あちらに見える男は、わたくしの最後の飼い主です。わたくしを最期まで探してくださっていた」
 猫の指す先には、壮年の男が項垂れるように背を丸め、重い足取りで前を行く姿があった。髪は崩れ、衣も汚れている。
「……そうか。多くの命が消えたのだね」
「悲しいことです」
 ふいに前を歩いていた男が振り返った。猫が飼い主といっていた男だ。男が足を止めたのを見とめて、猫は笑みをこぼした。
「うれしや……気づいてくださった。では大桜さま、わたくしは先にゆきます」
 見る見るうちに猫は小さくなり、四足になる。元の姿に戻ると、猫は駆けだして、前を行く男の足元に寄り添った。男は猫に笑みを向け、再び前へと歩み出す。

 さて、私も立ち止まっているわけにはいくまい。彼岸に渡った後は、どうなるのか想像もつかないが。

 しかし、足を踏み出したとき、衣の袖が後ろに引かれた。
「咲花さま、咲花さま。どうぞお待ちください」
 振り返ってみれば、手だ。細い手が衣を掴んでいる。
 手首から先しかないと思ったが、その手を伝って視線を上げていくと、闇の中から次第に腕、肩、と姿が現れる。
 ようやく顔が見えた。女だ。濡れたような美しい黒髪の女。
 見知った顔だった。
「そなた、なぜ……」
 ひたとこちらを見つめていた真顔が、その一言で泣きそうに翳った。
「トヨ……」
 なぜ、このような場所で……。とうに彼岸へ渡ったのではないのか。
「咲花さま、そちらに行ってはいけません」
 トヨは衣を離し、かわりに私の腕を掴んだ。そうして一歩、二歩と後退りながら、腕を引く。強引ではないものの、強い力は従わざるをえない気にさせた。
「こちらへ。戻らねばなりません」
「戻る?」
「聞こえませんか。皆が呼んでいます」
 困惑する私を、トヨは今までとは逆の方向へと導いていく。流れに逆らい、他の者とは真反対の方向へ。
「咲花さま。咲花さまはまだ枯れておられません。まだ命があるのです」
 そんなはずはない。春の気すらもう感じられぬ。枝の一つも動かせぬのだ。
 それを伝えても、トヨは歩みを止めぬまま、暗がりを突き進んだ。
 足元にあった道は消え去り、また闇が一面を覆う。ひどく寂しい心地がした。
「人の勝手をお許しください。けれど咲花さまは必要なのです。あの村にも、あの土地にも、必要なのです」
 ざわざわとした音が聞こえた気がした。否、気のせいではない。
 葉のこすれるようなかすかな音は、次第に大きくなっていき、そのひとつひとつを聞き分けられるようになった時、それが人の声であると知った。
 どれもこれもが誰かの起死を願う声だ。けれども、感じられる想いは謝罪と失望ばかりであることが不思議でならない。
 ふいにトヨが立ち止り、暗闇の中に細い光が差す。ぽかりと頭上で小さな円が現れた。青い、空の色をした円。
 見つめるうちにそれは大きくなっていく。しばらくして己が円に近付いているのだと気づく。青の円に白の模様が見え始め、まるで空を切り取ったようだと思った。この穴の向こう側は空が広がっているのかもしれない。
 春の香りがした気がする。ひどく懐かしい、と目を細めた直後、唐突に闇は払われた。

 蒼穹が視界を満たしていた。目を瞬いて瞠目する。涼しい風が髪を揺らし、生き返る心地がする。あの闇の中で息苦しさを感じていたようだ。
「咲花さま」
「トヨ。そなた、何をした?」
 隣に、トヨが光を浴びていた。その体は生きた命とは違い、薄く霞みのように透けている。
 トヨが視線を下へと滑らせた。視線の先には枯れたままの桜並木が、その奥には村がある。桜が枯れていなければ、そこは戦があったことを思わせないほど以前と変わらぬ光景だった。
「私はお手伝いをしただけです。皆の声を届けただけです。……咲花さま。どうか、再び枝を広げ、花を咲かせてくださいませんか……」
 闇の中で響いていた声は、村人のものだったのか。
 あれは、私のために……。
 身の内で、風のようなものが巻き上がった。春の気が身の隅々に行き渡るように、むずがゆいような心地が広がる。笑みがこぼれるほど懐かしい感覚だった。
「咲花さま。私はずっと咲花さまに救われておりました。幼くして死ぬやもしれなかった私を、元気にしてくださったのは咲花さまです。毎年、家から見える咲花さまの花が、私に生きようとさせてくれました。私が人並みの幸せを得られたのも、この命があってこそ。咲花さまに力をもらったからこそです」
 トヨが微笑み、瞼を閉じる。その姿が一層薄らいだ。
「いつか、咲花さまに恩返しができたらばと、長く望んでおりました……」

〜 * 〜 * 〜 * 〜

 並木路を、ひとりの女が歩んでいた。草履を鳴らし、着物の袖を揺らしながら。
 ふと吹く風が並木の桜を女の頭上にはらはらと散らせ、その様に女は薄く微笑みを浮かべて目を細める。戦で枯れたはずの大桜と桜並木が、数年の後のある春に一斉に狂い咲いたという噂は、遠く離れた地にまで届いた。
 もうすぐ並木も終わる。その先にある姿はもう見えていたが、全貌を見るにはあと少し。
 そうしてようやく視界は開けた。青空を背にたたずむのは一本の古い大桜。
 残ったままの焦げた古いしめ縄の上で、まだ新しい縄は木肌によく映え、白い紙垂を風になびかせる。満開の淡い花は、相変わらず美しい。

 女はその大木に近づいて、幹にそっと手を触れた。この数年、一度たりとも忘れたことがなかった木肌の感触は、覚えていたものより少し荒くなっている。
 幹に添えた手に額を押し当て、女はその無事を心から喜んだ。
「ああ、咲花さま。お久しぶりです。今戻って参りました」
 その時、するりと髪を梳くように、女は頭を撫でられた気がした。はっ、と弾かれるように顔を上げれば、目の前で一斉に幾本もの枝がざわりと揺れる。揺られて吹かれ、頭上を舞い散る雪のような花嵐。
 唖然と見開くその双眸は、雪に紛れる人影を見た。
 幹と溶け込む着物の上には、若草色の羽織がなびく。花弁とまがうほのかな色の髪の下に、淡く儚い薄桃色の優しい眼。春の陽のごとく暖かな微笑みがこちらを見つめている。

 たったひと時のことだった。
 目を瞬けば消え失せてしまったあの貴人は、はてさて現か、それとも夢か幻か――。女にそれがわかるはずもない。
 けれども、女は嬉しそうに笑みをこぼした。陽のさすように綻ぶその頬に、流れた一縷の滴は桜の足元に落ちていく。

 ―――― ああ、やっと        ――――。

 廻り廻るこの季節 あまたの命が芽吹く時

 花を咲かせて輝くは 千年生きた大桜

 戦火に焼かれ一度は枯れても 人の想いに(いら)うべく 再びその枝広げたる

 儚き色のその花を 愛した娘を想いつつ 風に吹かせる花吹雪
 まさに舞い散る雪のごと

 ああ 今再び春は廻り来た

 今は昔
 とある桜の物語


******
以下 アトガキ (反転)

ボカロの「桜前線異常ナシ」を聞いている時に自動で脳内再生されるPVのようなアニメのOPような……
ああいう動画ってなんて言うんでしたっけ? まあいいや。
とにかく頭の中で流れるアニメを書いてみました。

いや、歌の内容と合っているとかは別にして……ハイ。
なんとなく桜の話が書きたかったのです。十月も末なのに。(これ書き上げたのは十一月上旬です)

大桜さまは、人の姿の時の見た目は一応男の設定です。
藍の鳥も同じく男の姿です。

ここまで読んでくださってありがとうございました!

 2012. 4/21
◇Photo/ NOION
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