* Intermission 1. -小さな記憶-

 わたしが生まれた町は、ごく普通の町だった。
 ……と、思っていた。どこにでもあるような変哲のない町だと。
 そうではないと知ったのは、いつのことだっただろう。もう覚えていない。普通とは違うのだと知ったのは、どこでだっただろう。それも覚えていない。どこかで、何かの理由で、気づいたのだ。
 自分が当然だと思っていたことや、当たり前に身の回りにあったものは、実はとても不可思議なことだった。不思議すぎるそれらは、きっと他の人からはとても奇妙に思えただろう。その不可思議を平然と受け入れていたわたしは同じく奇妙な存在だっただろう。
 この世界が定める「普通」がどういうものかはわからない。けれど、もし多数をとって「普通」と称するなら、自分たちは「普通ではない」圧倒的な少数派だった。
 魔力と呼ばれる力を操ることができる一握りの異様な人間。
 そう、わたしが生まれた町は、魔術師の町だった。降り積もった雪が、至る所に生えた薬草の色を移して赤く染まる町だった。
 魔法と呼ばれるその現象は、この世に生まれた時からごく自然に身近にあって、わたしも物心がついても何も不思議がることなく魔法に囲まれて過ごしていた。人が宙に浮かんでも驚かない。いきなり人間が猫に、犬が人間に変身しても慌てない。道具なしで火が熾せても疑問に思わない。水がないなら空中から出せばいい。鞄に物が収まらないなら、物を小さく、あるいは鞄を大きくすればいい。高い場所に上るのに足場がないなら飛べばいい。物体がひとりでに動いても、それは日常茶飯事――。
 そんな奇怪な暮らしが、わたしにとっては“あるべきもの”で“あるべき世界”だった。

 けれど、異様である魔術師の町で異様をなんとも思わない魔術師に囲まれていても、なお不思議な力は存在した。
 偶然なのか、はたまた必然だったのか、わたしはその力をもごく自然なことだと思っていた。
 動物語使い(アニマリンガル)
 魔術師は、その力をそう呼んだ。本来なら言葉での明確な意思の疎通はほぼ不可能である動物と、まるで人間を相手にするかのように会話をなせる能力だった。魔法を使うことなく、動物の鳴き声を人間の話す言葉と同じように理解でき、また自分の言葉を彼らに理解させることができたのだ。
 そんなわたしを取り囲むのは、いつも黒。黒い羽に、黒い瞳。どれも滑らかで綺麗な色だ。
 ある場所では神の使い、ある場所では悪魔の使いと呼ばれるその鳥たち。神と悪魔では正反対だが、どちらにせよ人間の敵わぬ存在の使いとして選ばれるほど彼らは賢く、仲間思いであり、高い順応性を持つ。カラスはとても利口な鳥だ。
 彼らは黒い瞳でわたしを見つめ、黒いくちばしで語りかける。幼い頃からカラスたちは傍にいた。周りに集まったそれぞれには名前があり、個性があり、声があった。その個々を見分けることができたから一羽一羽が友達で、わたしは一羽一羽の友達だった。
 小さな頃は大きな彼らに護られて育ち、大きくなってからは小さくなった彼らを護った。一緒に育った彼らは友達であり、兄弟姉妹であり、第二の家族だった。
 そんな彼らと一緒にいたら、周りの人々は面白がって、わたしのことをからかった。そうして噂になっていく。
 月日が経つうちに自然と噂は広まって、どこの誰がつけたのかわからないけれど、わたしは誰もが知る第二の名前を持っていた。

――ねえ、知ってるかい?
――ほら、あの子のこと。

――彼女はいつもカラスと一緒にいるの。

――彼女はカラスと言葉が交わせるんだって。
――カラスの動物語使いなんだ。

――だからカラスと友達になれるんだよ。

――ああ、ほら、彼女だ。
――彼女が来るとすぐにわかるよ。

――彼女は空を黒くしながらやってきて、黒い羽を散らせながら舞い降りるのさ。

――大群のカラスを、まるで家来のように従えてね。

――だから、彼女はこう呼ばれるんだ。
――「カラス姫」って。

*  *  *

 穏やかな昼下がり、ダムゼル邸の広いテラスにはテーブルと椅子が出され、お茶の香りが広がっていた。風もないのでカップの湯気はゆったりと垂直に上っている。
 夜更かしをしたらしいダムゼルは眩しそうに目を細めるが、イーヴンは事務仕事でここ数日を引きこもって過ごしていたため日光を浴びて満足だ。ダムゼルの家がある崖では解放感も伴ってとても清々しい。朝から晩まで書類の細かい字と睨めっこしていると頭がおかしくなりそうだった。
 ようやく久々の休みが取れたので、どうせ親友も家の中で薬だ魔法だと過ごしているのだからたまには息抜きが必要だと、当のダムゼルが迷惑そうでもイーヴンは気にせずこうしてお茶の場を設けたのだ。……ここはダムゼルの家だが。
 カップを片手に、月一の近況報告と町や協会内の情報を一通り話し終えたところで、イーヴンはふと視線をずらした。その先では、少し離れた場所で親友の弟子がいる。黒猫も一緒だ。
「シンシアを見ていると思い出すわね。ほら、『カラス姫』ってあったじゃない?」
「え? なにそれ」
「えっ!? 知らない?」
 イーヴンは大きな目をさらに大きく見開いて、テーブルの向かいにいるダムゼルを凝視した。イーヴンとしては 「ああ、そういえば、そうね」 といった反応を期待していたのだが、親友は 「知らない」 とにべもない。
 イーヴンはすかさず、右隣の椅子に座っている灰色猫へと標的を変えた。
「ボレアスさん、知ってますよね?」
「残念だけど、俺も知らない」
「ええ!?」
 あれ、おかしいな、全国的だと思ってたけど……と、独り言ちるイーヴンを不審な目で見て、ダムゼルが話を促す。
「で、その『カラス姫』は何?」
「絵本、というか児童書だったと思うんだけど……。カラスの動物語使いの女の子の話。ある日、女の子が白いカラスを拾うの。それで、白いせいで独りぼっちだったカラスとお友達になって、いろいろあって……最終的にはめでたしめでたし」
「……聞いたこともないわ」
「そうなのね。……わたし、あの本の挿絵が好きだったのよ。それで大事にしていたんだけど、どこかで失くしちゃって。シンシアを見ていて、今ふと思い出したの」
 ふふふ、と微笑むイーヴンの視線の先には、テラスに座り込み、カラスたちに囲まれているシンシアがいた。黒い中に金色の頭が揺れている。
 普段あまり話すのが得意そうでない少女は、楽しそうに笑ってカラスたちと何かを話している。自分と接するときはまだ気を使っているのか、それとも緊張しているのか、あんなふうに自然な姿は見せてくれない。カラスたちといる時がシンシアは一番人間らしいと思う。
「シンシアが来てどれくらい経つの?」
「さあ……もう一ヶ月は経ったんじゃない?」
「まだ魔法は教えないの?」
「そうね、今は想像力と集中力の訓練をしているけど、まだ早いわ。それより前に薬学と、あと飛び方も教えないと」
「薬学なんかより魔法が先でいいんじゃない?」
「魔法はもう少し体力が回復してからでないと持たないよ。だからそれまで薬学と飛行に専念させる。秋には仕事で遠征したいし、シンシアも連れて行きたいからね」
「仕事って、あなたの仕事は危険じゃないの?」
「大丈夫よ。そんな極端に危ないのは受けないから」
「むしろシンシア一人で家に残した方が格段に危ないと思う」
 横から挟んだボレアスの言葉にダムゼルも神妙に頷いた。イーヴンは家の中の様子を脳裏に浮かべ、口をつぐんだ。
 いや、何も言うまい。今まで散々注意したけれど改善された例はなかった。
「あの子、まだどこに何があるか把握してないし」
 ……いい加減、片づければいいのに。
 浮かんだ言葉は紅茶と一緒に飲みこんだ。
 どうせ言っても 「掃除はした」 と言い返されるのだ。彼女の掃除は、確かに清潔にはなるが、決して整頓はされない。あの中を把握するのはかなり大変だと思う。
「まあ、あなたが大丈夫っていうなら……そうだ、シンシアの飛行箒はあるの? お古でよかったら初心者用のをあげようか?」
「持ってるの?」
「わたしのお古で、さらに姪っ子ちゃんたちが使った後だけど。けっこう綺麗だし、使わないのももったいない気がするのよねー」
「そう? なら貰おうかしら」
 うちには初心者用のはないから、と親友はカップに向かって零す。
 なら、いったいどうするつもりだったのか。まさか誰かの箒を使わせるなんてこと……と思って、ダムゼルなら大いにありえることだと思い直した。
 初心者相手になんて難易度の高いことを。熟練者でも他人の箒を扱うのは難しいのに。
 まったく、彼女は自分を基準に物事を考えるからいけない。
「貰ってくれるとありがたいわ。なるだけ多くの人の魔力に触れた方が魔法の上達も早いっていうし、ね」
 親友のため、可愛い弟子のため、わたしも一役買おうじゃない。
 そう胸を張ると、呆れた目が返された。
 いつからあんたまであの子の師匠になったの、というダムゼルの言葉は聞かなかったふりだ。

To be Continued...
2013/09/10