夏至祭の花輪は、おまじないをした後、次の満月まで取っておくものだという。満月の夜に、花輪を月明かりに照らして眠りにつくと、おまじないが成功したかわかるのだ。
 ベッドから起き上がったシンシアは、机の上に置いた洗面器を覗いた。
 花輪は深めのお皿に水を張って入れておけばいいわ、と教えてくれたのはイーヴンだ。皿の数が少ないから物置で手近な器を探しなさい、と言ったのはダムゼル。結果、シンシアは物置で見つけた古ぼけた洗面器を拝借した。ボレアスは可愛げがないと言っていたが、シンシアは白い磁器に緑が浮かぶ様を気に入っている。
 水を張った中に沈む花輪は、いつの間にか白い花を咲かせていた。カーテンを開けておいたから、満月の光は十分に浴びられたのだろう。

12.-繋がりの色-

 おまじないの結果は、満月の晩にみる夢でわかるらしいが、残念ながらシンシアはどんな夢を見たのか覚えていなかった。
「あら、じゃあ、わからないのね」
「はい」
 隣を歩くイーヴンは少し残念そうな様子を見せた。
「その、夢って、どんな夢なんですか?」
「たとえば、『恋人が欲しい』 ってお願いして、成功するとその相手の姿が夢に現れるのよ。『喧嘩したあの子と仲直りしたい』 だと、夢の中で仲直りできる様子が見られるの」
 なるほど。願い事にきっちり沿った結果が見られるわけだ。
 シンシアは、明確な願い事をしなかった。おまじない自体が曖昧だったから、夢に見なかったのかもしれない。
「なんにせよ、悪い夢を見たわけじゃないなら、きっと大丈夫よ」
 イーヴンは、にっこりと笑ってそう言った。
 頷き返したシンシアは、タイミングを十分すぎるほど計ってから、控えめに切り出した。
「ところで、あの、イーヴンさん、今日は何を買うんですか?」
「そうね、特に決めてないけれど、とりあえず服かしら。お祭りも明けて一週間だし、どこもセールをしているわ」
 意気揚々と歩く軽い足取りに合わせ、イーヴンの肩から垂れた、柔らかな紗のベールがゆらゆらと空気に踊る。水色から青へのグラデーションがまるで水のようで、シンシアは魚になった気持ちで後を追いかけた。
 〈魔女の谷〉は今日も活気づいている。人通りも、流星祭の時ほどではないが、中心街に近づくにつれて多くなる。平常でも十分、色や音楽の溢れた町だが、改めて、流星祭の時は段違いだったのだと知った。
「お祭りだもの」 と、イーヴンは得意げだ。
「魔法が使えると一般人じゃできないことも簡単にできちゃうから、みんな張り切るのよ。魔術師って、なんでも面白可笑しくするのが好きなの」
 彼女が言うと、やけに説得力がある。
 町は相変わらず不可思議で、常識外れで、面白そうなものが溢れている。シンシアの好奇心をぐりぐりと刺激する物ばかりで、気を抜けばすぐに目移りしてしまう。そのせいで前にダムゼルと来た時は、短い間とはいえダムゼルを見失ってしまったのだ。
 今回は、イーヴンから離れないように気を付けなれば。はぐれてしまって迷惑をかけてはいけない。……と、意気込んでいたのに、いろいろな店を巡り、気づいた時にはシンシアは一人だった。周りを見渡してもイーヴンの姿がない。
「イーヴンさん?」
 雑踏の中に一人、立ち止まる。
 無意識的に首元にやった手は、予想した感触とは違い、ただ肌と髪を掴んだ。そうだ、ノートは留守番だ。一人になったと自覚した途端、急に肌が神経を尖らせる。ドキドキと鼓動が早くなるのを感じた。
 ――あんたの恰好は目立つから、大丈夫だと思うけど……。
 出掛ける前の、ダムゼルの苦い顔を思い出す。交渉するイーヴンを上から下まで見て、発した言葉だ。
 大丈夫でなかったと知ったら、師匠はイーヴンを咎めるだろうか。
 もしかしたら、少し離れてしまっただけで、急げば追いつけるかもしれない。半ば挙動不審になりながら早足で歩いていると、すぐに噴水のある広場に出た。
 そこで期待は打ち砕かれた。広場から伸びる通りは、シンシアが来た通り以外に三つある。町の地理を知らないシンシアに、イーヴンがどちらへ行ったかなど見当もつかない。
 荒い息を押さえ、シンシアはふらふらと噴水に近寄った。
 噴水の周囲には誰もいない。人々は広場を通り過ぎていくばかりで、広場で休む人も建物から張り出したテラスのパラソル付きテーブルや、壁際のベンチなど日陰を選ぶためだ。今のシンシアにはありがたい。
 人々から距離を置くと、警戒心が少しだけ身を潜めた。しかし、イーヴンの居場所はわからないし、また通りに入っていく勇気もない。他に行き場のないシンシアは、そのまま噴水の縁に腰掛けた。
 晴れた日差しが水面に反射している。今日はいい天気だ。空に雲がない。帽子を持ち上げると、中で籠っていた熱が噴水で冷やされた風にさらわれていった。
 目を閉じると雑踏と話し声が遠のき、噴水の水音が涼やかに気を落ち着かせてくれる。シンシアを引き戻したのは、道の向こうから駆けてきた兄弟の声だ。少なくとも、それに警戒しない程度には、余裕は戻っていた。
「兄ちゃん、待って!」
「早く早く!」
 幼い兄弟がはしゃぎながら、我先にと競い合って噴水に辿りついた。兄の方は、手に棒を掴んでいる。よく見れば、ただの棒にしてはやけに真っ直ぐで、綺麗だ。
 何をするのかと見ていれば、兄が、手にした棒の先を水に浸し、勢いよく持ち上げた。棒に吊られるように、水の塊が浮き上がった。
 きらきらと光を放つ透明なそれは、鳥の形に変わり、兄弟の頭上を旋回する。鳥の翼や尾羽の先から細かな水滴が降りかかり、きゃあきゃあと兄弟の笑い声が弾ける。
「ティウス! 新しい杖で遊ばないの!」
 遠くから母親らしき女性の声が呼ばわり、少年たちは鳥を引き連れたまま、母親のところへ走っていった。咎められたのか、水の鳥はまもなく姿を消してしまった。
 少年たちがいた場所は、水をはね上げた勢いで縁の石が濡れている。石畳も色を変えて、水滴が落ちた跡を残していた。
 あの少年たちも、いずれ魔術師になるのだろう。シンシアよりも年下なのに立派に魔法を使ったのだ。素直に感心すると同時に、胸中になんとも言い難い心地が残る。
 魔術師の子供は、あの程度の魔法なら容易く使えるのだろうか。それが、普通なのだろうか。
 魔法の構造や基礎知識は本で読んだシンシアだが、自分がそれを使うという実感は未だにわかない。あくまで知識として知っているだけだ。己の中にあるという魔力も、世界に満ちるという魔力も感じられない。ましてや魔法として使うなど、できそうにもない。
 箒に乗って飛ぶ練習は始めているものの、あれは正直、シンシア自身の力なのかどうかが曖昧だ。浮くにも時間がかかり、思うように移動もできず、箒を操るというより振り回されていると言った方が近い。
 出し抜けに、シンシアは左手を傍らで揺らめく水に浸けた。指先をぴたりと合わせ、冷たくて少し硬い水を掬う。そのまま、水が形を持つ様を思い浮かべてみた。
 当然ながら、何も起きない。水は徐々に指間から滲み出て、噴水の一部に戻った。しばらくシンシアは水を掬う行為を繰り返したが、何度やっても結果は同じだ。諦めて手を引き上げた時には、左手だけ冷たくなっていた。
 噴水を眺めるのにも飽き、シンシアは周りを見渡した。
 広場は、はぐれた位置からそんなに遠くないはずだ。ここに留まっていれば見つけてくれると再び期待を持ち、行き交う人の中にイーヴンの姿を探してみる。
 大人、子供。老人、若者。
 女性、男性。たまに、外見だけではどちらか分からない人。
 そのうち、自然とシンシアの視線は人々の特徴を見つけ出す。こうして人々の姿を意味もなく見たこともなかった。常に視線を合わせないように顔を隠していたのだから当然だ。
 性別や年齢以外にも違いがある。髪色、肌色、顔つき、体つき。歩き方ひとつをとっても十人十色だ。
 もちろん服装も様々で、薄着が多い中、黒いマントを着た人も見つけた。しかも、フードまで被っている。ゆったりと歩くその人がこちらを見た気がして、シンシアは慌てて顔を背けた。
 そこで、ようやく曇っていた脳裏に光が差した。シンシアは、はっとして、まず街灯の上、そして広場の周りを囲む建物の屋根を見渡した。
 いた。
 カラスが数羽、屋根の上からこちらを見下ろしている。一番近くにいるのは遠目で判別しづらいが、おそらくヴェナだろう。クレアの娘だ。
 ヴェナに向かって手招くと、彼女は一声鳴いて、すいっとシンシアの隣に舞い降りてきた。
「どうしたの、シンシア」
 イーヴンとはぐれたことを伝えると、ヴェナはかちかちとくちばしを鳴らした。
「一緒に来たマジョを探せばいいのね?」
「うん、そう。お願いできる?」
「もちろんよ」
 ヴェナは、ここで待っているようにシンシアに言い含めて、飛び立った。彼女の高い呼び声に呼応し、他のカラスも方々へ飛ぶ。
 カラスたちなら上から探せるし、人ごみならその方が見つけ易そうだ。それでも見つからなければ、イーヴンと二人乗りで来たシンシアは自力で帰ることができない。最後の手段として、カラスたちにダムゼルを呼びに行って貰うことになる。
「シンシア!」
「見つかったよ!」
 希望を持ちながら待っていると、二羽のカラスが足に何かを掴んで戻ってきた。膝に落とされたそれは、見覚えがある帽子だ。その後、帽子を失くしたイーヴンが急ぎ足で来るのは五分とかからなかった。
 ヴェナたちがいてくれて幸いだった。ただ、これでまた、みんなが心配するに違いない。ヴェナは今日のことをクレアに伝えるだろう。クレアはリーダー格のカラスと話し合い、情報はすぐに群れで共有される。
 そのうち、町に行くなと言いそうだから少し不安だ。
 シンシアはダイニングで一息つく。久しぶりにたくさん歩いたため、足がこれ以上動くことを拒否している。特に目的地もなく、店から店へあちらこちらを歩きまわる買い物は初めてだった。「物を買わない買い物」 は、やはり変な感じがするが、いろんなものが見られたシンシアは満足していた。
「これ、ちょっと買い過ぎじゃないの?」
「服なんて多くても困らないでしょ。セールで安かったし……」
「それにしたって……」
 リビングでは、イーヴンが今日の戦利品をソファーに出して、作業中のダムゼルに披露している。
「あ」
 シンシアも忘れないうちにと、スカートのポケットから包みを取り出した。入れっぱなしだった紙袋はくしゃくしゃだ。中身のリボンもよれている。
 隣にいたノートが手を覗き込んで、尻尾を揺らした。髭が前に向かっている。興味がある時の仕草だ。
「どうしたんだ、それ」
「イーヴンさんが、お土産、買ったらって……」
「土産?」
「そう」
「……誰に?」
「ノート、に?」
 シンシアとノートは見つめ合った。
 次の瞬間、ぶわっと黒猫の毛並が逆立ち、尻尾が膨らむ。
 にじりながらノートが距離を置こうとするのを、シンシアはさっと掴まえて、首にリボンを巻いてみた。もがく黒猫相手に、シンシアにしては手早く結ぶことができた。残念ながら、蝶々結びが縦にねじ曲がっているので、出来は上手いとは言い難い。
「俺は男だぞ!」
「だ、だから、赤にしたんだけど……」
「これ、女のだろ、レースがついてるじゃないか」
「でも、似合うよ?」
 リボンを取ろうとノートは懸命に両足をばたつかせる。けれど猫である以上、首裏の結び目をほどくのは無理があるため、それは顔を洗っているようにしか見えない。
 思わず顔が緩んでしまう。
 もがくのを止めさせようと、シンシアは猫の両脇に手を差し入れて、もう一度捕まえた。そのまま自分の目線にまで持ち上げる。ぶら下がった黒猫の体が、びろーんと伸びる。
 やっぱり似合う。黒の体に、空色の目と赤いリボン。ふたつはその対照さから、よく目立つ。
「おい、おろせよ」
 猫の小さな口がくわりと開いた。相変わらず抱き上げたまま笑みを返すと、ノートは手を伸ばし、シンシアの額を押し退けようとした。ぐにっ、と肉球が押し付けられる。ぜんぜん痛くない。
 嫌がるので膝の上に下ろすと、ノートはすかさず飛び降りて戸棚の上に逃げ、リボンと再格闘しはじめた。
 シンシアが容赦なく固結びしたため、ちょっとやそっとで解けることはないだろう。
「おい、なんだ、そのリボン」
 そうこうするうちに、ボレアスが騒ぎを聞きつけてやってきた。ボレアスの声に笑いが混じり、「ああもう、嫌な奴に見つかった」 とノートが呻く。
 ――欲しい物って、リボンでいいの?
 豊富な種類のリボンの前で悩むシンシアに、イーヴンが尋ねた。
 ――じゃあ、赤にしたら? 似合うと思うわよ。
 実のところ、その助言はシンシアが自分用のリボンを悩んでいると思ってのものだった。少女は、師匠に影響されてか、地味な色合いの服ばかり着ているので、原色がアクセントになるだろうと。
 ――情熱の赤。親愛の色。優しい心の色っていうわね。
 イーヴンからすれば何気ない言葉だ。
 どうにも解くのは無理そうだと諦めた黒猫が、からかってくる灰色猫に応戦し始める。
 シンシアは、灰色猫と言い合いをする黒猫を見て、満足そうに微笑んだ。

To be Continued...
2014/09/27