魔術師の町で行われる夏至の祭は流星祭と呼ばれる。
 夏至の前後を含めた流星祭の三日間は、昼夜を問わず、七つの星座から星が流れると言われているからだ。
 星座から流れた星をつかまえられれば、その星座の神話に因んだ願いが叶うという。特に、夏至の夜から次の日の朝にかけて流れる流星群が最大規模で、毎年の見物である。

9.-夏空の女神-

 流星祭の朝、食卓にはたったグラス一杯だけの水が載っていた。
 ぼんやりとしながら、シンシアは小首を傾げてせかせかとダイニングに出入りする魔女を見た。けれど声をかけるタイミングが掴めず、結局黙って席につく。
 いつも朝はきちんと食べて栄養をとれとダムゼルは言うのに、今日はどうしたのだろう。
「シンシア、いいからそれを飲め」
 動かない少女を見かねて、そんな声が降ってきた。ボレアスがいつもの戸棚から見下ろしている。
 ボレアス曰く、夏至の朝に降りる朝露とリカリービルという花の蜜を混ぜたもので、起きて一番に飲むと魔力を高める効果がある、だそうだ。
「慣わしで、夏至の朝はそれ以外口にしない」
 再度促されて、シンシアはグラスに口をつけた。見た目はどう見ても水だ。心なしか甘そうな匂いがするものの、味もやっぱりただの水だった。
 そもそも魔力がよく理解できていないので、魔力が高まったという感覚すらわからない。
 考えることを諦めたシンシアはグラスを流しにおいて、朝食後恒例の読書の準備に移った。今日は『古代文明と神話に読み解く世界史 創世紀編』の続きだ。
 ダムゼルは相変わらずに忙しそうにしている。薬草の中には、夏至の前夜に摘むと一番効果が高くなるものがいくつもあるため、昨日の夜から収穫と保存の作業を繰り返しているらしい。
「ダムゼルさん、寝てないんですか?」
「いつものことだ。まあ、もうすぐ終わるだろうし、そうしたら寝るだろう」
 ボレアスのその言葉通り、しばらくすると作業を終えたらしいダムゼルが足を重そうに引きずりながらやって来た。目が虚ろだ。目の下には濃いくまができている。
「ダムゼル? おい、大丈夫か?」
 よろよろとキッチンに立った魔女は、怪しげな小瓶の液体を一気に煽り、水で流し込んだ。様子がおかしいことを見咎めてボレアスが訝しげに声をかける。
 ダムゼルは額を押さえて、何度か咳き込んでから、今にも消えそうに細い声で呻いた。
「ビダミとシゲツソウを同時にやるとだめだわ、死ぬかと思った……」
 顔を上げて振り向いた魔女の顏は真っ白で、シンシアは凍りつく。目の下のくまが、今は緑に変色していた。
 乱れた髪をそのままに、ダムゼルは頭痛がする時のようにきつく目を瞑ってこめかみを押さえた。
「論文書けそう……幻覚作用が出るなんて……」
「それはいいから、とにかく寝ろ」
「たぶん熱処理によるビダミの麻痺作用保持のためが、空気中の温度か湿度で、湿ったシゲツソウの根の、なんらかの作用して、弛緩効果が……」
「ダムゼル!」
 もごもごと呟く魔女を戸棚から下りた灰色猫が一喝した。
「論文なんか後でいくらでも考えればいい。さっさと寝ろ。言ってることが滅茶苦茶だぞ」
「そう、そうする……わかってる……」
 さきほどの文法もでたらめだったが、もはや口調すらも覚束ない。
 ボレアスの溜息を背に、ダムゼルはリビングのソファーに倒れ込む。そして午後五時にイーヴンが到着して叩き起こされるまで魔女は眠り続けた。
「呆れた! またなの? だから手伝おうかって言ったのに! 神経も魔力も使うんだから、一晩でも徹夜はだめだって言ってるじゃない! それに、今まで寝てたならシンシアのお昼ご飯はどうしたの? まさか食べてないとか言わないわよね?」
「お願いだから一気に喋らないで……昼はちゃんと用意してたよ」
 呻くダムゼルの機嫌はよくない。十分に寝たおかげか目の下のくまは薄れていたものの、まだ頭痛がするようだ。
 けれどイーヴンは容赦なく、小言は支度をしたダムゼルの服装にまで及んだ。
「もう! せっかくのお祭りなのに、どうしてあなたはいつも白黒ばっかりモノトーンなの! 他の色だって持ってるでしょう!?」
「逆にどうしてあんたはそう明色ばっかりというか、派手なの。お花畑にでもなるの?」
「流星祭には花って決まってるの!」
 確かにイーヴンはすごく派手だ。いつも奇抜な恰好だが、今日は寄せた花の刺繍入りのワンピースで、花冠を大きくしたものがベルト代わりに腰に巻きついている。装飾品のモチーフも花。外套もあらゆる明色を取り交ぜた花柄で、靴と帽子だけが緑一色だ。ダムゼルのお花畑という表現はぴったりだ。
 一方のダムゼルは普段よりもさらに質素な白と黒だけの服で、並んだ二人は本当に仲の良い友人なのかと疑うほど不釣り合いだった。
「シンシアも。もうちょっと明るい服を着ればいいのに」
 あなたたち二人、きっと浮くわよ?
 イーヴンの言葉に疑問を持ちながら連れてこられた〈魔女の谷〉の町は、花と光で溢れていた。どこを見ても大きさ、種類、形、色の様々な花と緑が飾られている。空からはひっきりなしに花吹雪が降り注ぐし、あちらこちらでキラキラと光が吹き出すし、前に一度来た町とは到底同じに思えない。
 石畳は、人が歩くと足跡がわりにポンポンと花を咲かせ、たちまち何もなかったかのように元に戻る。往来の多い所は常に花があった。
 どこで演奏しているのか、音楽隊など見当たらないのに軽快な音楽も町を覆っている。賑々しい街中を歩く人々は花をあしらった色とりどりの装いで、あのイーヴンが馴染んでしまっている。
「目が痛い、うるさい……だから嫌なのよ……」
 眩しそうに目を細めていたダムゼルは、庇うように帽子のつばを引き下げた。ダムゼルが嫌がるのもよくわかる。シンシアも雰囲気に気圧され、いつものストールを頭から被ろうかと思い悩んだ。
 消極的な師弟にイーヴンはこっそりと苦笑する。
「お祭りなんだから、こんなものでしょ」
「やりすぎ。限度ってものを知らないんだから」
「やるならパーッと全力でやるべきよ。ほら、楽しまなきゃ」
 イーヴンに引っ張られながら一行はお祭り騒ぎの街中に繰り出した。
 初めは気後れしていたシンシアも、出店にしろショーにしろ、見たことのない知らないものばかりで夢中になる。目新しいものに意識を奪われ、周囲の様子は途中で気にならなくなった。
 ダムゼルは周囲を煩わしそうにしながらも、はしゃぐ二人の後を黙ってついて回った。年相応のシンシアの姿は微笑ましい。自分にとって厭きるほど馴染んだ魔術師の祝祭も、弟子には良い経験になるだろう。
 気づけば時間は八時を回り、空はゆっくりと色を変え始めていた。
「そろそろかしら」
 頭上を見渡しながらイーヴンが振り返って尋ねる。ダムゼルも空を見て、「そうね」 と返した。
「日没はあと十分ほどかしら」
「……なにか、あるんですか?」
 シンシアは、さきほど買い与えられた玩具の水玉からようやく顔を上げ、大人たちを窺った。ぷにぷにと柔らかな弾力のある玉は、シンシアの指が触れた場所から中に満たされた液の色を変え続けている。今は空と同じで、オレンジ色を藍色がじわりと覆いつつある。
「もうすぐ星が流れ始めるの。大広場でイベントがあるわ」
 その広場に向かう途中、背に翼を生やした男女を何人か見た。道行く人に草を編んだ冠を与えていて、シンシアにも微笑みと共に冠を頭に乗せてくれた。よく見れば、緑の葉の合間には、まだ固く閉ざされた蕾がある。
「これって、なんですか?」
「満月草よ。満月の夜に花を咲かせる、魔力を持つ薬草のことをいうの」
 これを使っておまじないをするのだとイーヴンは言った。
 ゆっくりと歩きながら町の中央大広場に出る頃には、空は完全に暗くなっていた。
 広場の真ん中には蔦と花で飾った屋根なしの塔ができていて、周りにはもう多くの人が集まっている。シンシアたちは中央付近からは少し離れて、塔全体がよく見える場所に留まった。
「良い時間ね」 とイーヴンが呟いた。
 空から降っていた光が止み、次いで広場の街灯もゆっくりと灯りを落とし、人々が浮き立つ。明るい音楽も曲調を変えた。
 おもむろに柔らかな黄色の粒が集まって、暗い中で幻想的に塔を浮き上がらせた。
 塔の上に一人の女性がいる。背中には白い翼が生えている。額と結わえた長い髪を飾る冠は動く度に光の粒を零し、女性のまとう豪奢なドレスを照らす。女性が両腕を広げると、なびく袖から銀色が舞った。
 音楽とともに女性は歌い始めた。歌う、というよりは、詩の朗読に聞こえた。
  「あれはユーンギア。古代神話の女神さまよ」
 見惚れるシンシアにイーヴンが囁いた。
 ユーンギアは知恵と言葉を司る女神。神話の中では神や人、動物に植物、あらゆる生物の仲を取り持つことから、流星祭ではユーンギアから流れる星は縁結びの願いが叶うとされる。今歌われているのは、まさにその神話の一部だ。
 歌はいよいよ佳境に入った。
 ユーンギアに扮した女性が空を指し示す。指先から金色が放たれた。それは遥か遠くの空で弾け、星同士を線でつないだ。続いて放たれた銀色が金の上に夏の女神の絵を描く。
「あれがユーンギアの星座で、あそこから星が流れるの」
 すでに星は流れ始めていた。これからどんどん数が増えるそうだ。
 賑やかな音楽が戻ってきて、一部の人々が塔を取り囲んで踊りだす。華やかな衣装も相まって花畑の揺れるようだ。
 ダンスを横目に、イーヴンは先ほど言っていたおまじないの仕方をシンシアに教えてくれた。
 やり方は単純だ。腕を伸ばして花輪を覗き、流れ星が花輪の内で消えれば「つかまえた」ことになる。流れ星を七つ、つかまえたら、結びたい縁をお願いする。
「縁、ですか……」
「そう。家族、友達、恋人、他にもいろいろ、誰かとの縁を結んでくれるの」
 縁と言われても、シンシアにはぴんとこなかった。家族も友達も、カラス以外に浮かばないし、彼らがいるからわざわざおまじないなんかする必要はない。恋人はよくわからない。
 ダムゼルやボレアスは師匠だ。イーヴンも、どちらかというと師匠に近い。……ノートは、いったいなんだろう。
 漠然とした思いのまま、シンシアは星空を見つめた。町の明かりで薄らいでいるものの、空はどこを見ても星がある。
 流星群も初めてだが、毎夜、頭上にこれだけ多くの星があったことすらシンシアは初めて知った。森の中で視界はたいてい遮られていたし、うずくまって眠る夜にわざわざ空を見上げた記憶はなかったのだ。
 大群の光が空を駆けていく。壮観だった。
 吸い込まれるような錯覚で惚けていたシンシアは、イーヴンに教わったように花輪を覗いた。光はいくつも流れるが、消えるところを捉えるのはなかなか難しい。あまりに没頭して、イーヴンとダムゼルが何か言った声も聞き流していた。
 そして、ようやく四つ目の星をつかまえた時だった。
「ねえ!」
 とんと肩を叩かれた。振り返ったシンシアは、ぎくりと体を強張らせる。傍にいたのはイーヴンでもダムゼルでもなく、同じ年頃の男の子が、明るい眼差しでシンシアを見つめていた。
「その花輪、まだ交換してない? だったら僕のと換えてくれない?」
 シンシアは無意識に胸に抱いていた自分の花輪を見て、男の子の顔と彼の持つそれを交互に見た。
 強張ったまま返事をしないシンシアに、男の子は不思議そうに目を瞬く。
「あ、の……ごめん、なさい……」
「あー、もう交換しちゃったのかぁ」
「え、う……」
「そうだ、よかったら――……どうしたの?」
 口ごもる声が聞きづらかったのか、シンシアの様子をおかしく思ったのか、男の子が顔を覗き込んだ。途端に、ぐっと喉を押さえられたような錯覚がシンシアを襲う。

 ――あっちへ行け、魔物の子!

 そんなはずはないのに、見つめる眼差しに敵意が見えた気がした。
「……っ、ごめんなさい……!」
「えっ? あ……」
 俯くことで眼差しを断ち切り、シンシアはようやく声を絞り出た。後はもう考える事すらできなかった。驚いたような声に背を向け、華やかな面々の中で一人だけ浮いた真っ黒な外套めがけて駆ける。
 走って戻ってきた弟子に、ダムゼルも一緒にいたイーヴンも何事かと目を剥いた。
「シンシア?」
「…………」
 未だに呼吸は荒く、とてもじゃないが話すことも師匠たちの顔を見ることもできなかった。傍まで寄ったことで、俯いたままのシンシアの視界は、ダムゼルの纏う黒色でほとんどが覆われた。
 明るさが消えて、ざわついていた心が少し落ち着く。
「シンシア、行かなくていいの?」
 イーヴンは問いかけたがシンシアは首を振った。
「ほら、誘われたんでしょう?」
 そっと振り返った先には、先ほどシンシアに声をかけてきた男の子が、まだ気にしてこちらを窺っている。しかしシンシアは頑なに拒否を示し、とうとう光からも身を隠すようにダムゼルの背後に回ってしまった。
 困った顔でイーヴンはダムゼルと視線を交わす。イーヴンは知らないが、ダムゼルには思い当たる節がある。ダムゼルはシンシアが肩にかけているストールを手に取り、いつかのようにそれをシンシアに深く被せた。
「このあと花火があるの。ここじゃあ少し賑やかすぎるから場所を変えましょう」
 明るい声音で切り替えたイーヴンも、深くは追及しなかった。

*  *  *
「シンシアって昔のあなたにそっくりね」
 ダムゼルは否定しようと口を開いたが、それより早くイーヴンが言葉を続けた。
「不機嫌か怯えてるかの違いだけよ。人との関わりを嫌っているのは一緒だもの」
 大広場どころか町からも離れ、ダムゼルたちは町を囲む崖へ移動した。見下ろす町は遠目に見ても華やかできらきらしている。上を見上げれば自然の光がやはり煌めいていた。
 シンシアは落ち着いたようで、花輪を手にまた空に見惚れている。暗闇を怖がる様子はない。
「あれじゃ、試験の時に困るわよ」
「大丈夫よ」
「あのね、あなたが平気だったからあの子も平気だと思ってるなら大間違いよ」
「お説教はやめて」
 近頃すぐに厳しくなる親友に溜め息が出る。
「……ちょっと人見知りが激しいだけで、ゆっくり馴染めばあの子だって大丈夫」
「そうだといいけれど」
 町の方では花火が始まった。
 呟いたイーヴンは、シンシアの元へ行ってしまう。天文学が好きな彼女のことだ。街中にいるより空が見やすくなったので、星座だとか神話だとかを喋りたいのだろう。シンシアは何にでも興味を持つから、教える側としても楽しいと言っていた。
 ダムゼルはぼんやりと二人の後姿を眺め、ふと考える。
 シンシアにとって黒は安心する色なのだろう。彼女を守るのは、家族であり友人であるカラスたちだ。幼い頃から傍にいて見慣れている色である。
 そういえば、シンシアをこの町へ導いたのは黒猫だった。ダムゼルは黒髪でもあり黒を好む。奇しくも同じ色だ。
 カラフルな花火は、色を競うようにこぞって弾けている。ダムゼルの位置からだと、シンシアとイーヴンはその中で影になっている。
 まだシンシアは、暗闇の方が心地よいに違いない。そんな少女は夏の女神に何を願うのだろう。今と同じ黒を望むのか、それとも……。
 魔女はふと笑んだ。
 シンシアの願いはどうであれ、これから多くの縁が結ばれるに違いない。すでに明るいのが一本、隣に結ばれているのだ。だから、いつかシンシアも、あの花火の色のように鮮やかな色に馴染める日が来るだろう。最初は臆しても、途中で怖くなっても、あの町で目を輝かせて笑えていたのだから、「いつか」はきっと遠くないはずだ。

To be Continued...
2014/06/01