魔女は五つの鉢植えを順番に観察する。二ヶ月前に植えた薬草の苗木はそれぞれに成長している。
 最後の鉢植えの薬草の前に跪き、葉の具合を触って確かめていたダムゼルは、ひとつ頷いて立ち上がった。
「……よし、いいでしょう」
 合格、との言葉に固唾を飲んで待っていた少女の顔はほころんだ。
「五日草の花が頃合いだから、他の出来上がっているものも今採ろうか」
 きちんと育った薬草の材料となる部分をダムゼルに教わりながら収穫し、一先ずシンシアの最初の修行は無事終了だ。
「この材料だけでも簡単な薬がいくつか作れるよ。今日から薬学の実践をしないとね」

8.-薄煙の葉-

「さてと。いいかい? 説明するからよく聞くんだよ」
「はい」
 少し汚れている灰色のエプロンを着けたシンシアは、ダムゼルの横で頷いた。
 ダムゼルはいつも薬を調合するときと同じ格好――髪を束ねて、腕まくりをしている。シンシアも倣って、同じように腕をまくり、髪も結んでもらった。
「まずは初歩的な風邪薬から覚えていきなさい」
 まるで料理をするかのようにキッチンの調理台には木製のまな板と大小のナイフ、計量カップ、天秤と道具が出ている。そして野菜の代わりに朝に収穫した材料が並べてあった。
 ダムゼルの手には高さ二十センチほどの辞書のような厚い本がある。ダムゼルはそれを無造作に開くと、そのページをシンシアに見えるように目前に浮かばせた。使い込んだせいでクセがついているらしく、ページが戻ろうとする気配はない。
 ページの一番上の見出しには「風邪薬」、その下には小さく「001‐治癒」という分類と、その薬の効果が示されている。
「薬学の用語を覚えなくちゃいけないから本は自分でしっかり読むんだよ」
「はい」
 返事をし、シンシアはそのページを押さえながら、そっと本の表紙を見てみた。
『おバカさんや面倒臭がりさんでもわかる! 初等魔法薬入門書』
 本を戻し、薬の効果が書かれてある部分を読む。『軽い発熱、せき、くしゃみ、鼻水、鼻づまり、喉の不快、頭痛、筋肉の痛みなど、風邪の諸症状に広く効果あり。』だそうだ。
「まず、使う材料と道具をすべて用意する。それから材料は始めに必要な分を量って、残りはしまっておく。薬草には水気、火気、日光や特定外の温度に弱いものもあるから、効能を無駄にしないためにも必要最低限の分だけをテーブルに置いておくこと」
「はい」
「でないと、火気厳禁のものに束で火が点いたらドカンだからね」
 ダムゼルは一つ一つ確認するように指差した。
「置き場所もしっかり把握しておく。順番に並べると探さなくて楽だよ。常に手元はキレイに」
「たとえ部屋は汚くてもな」
「そう……って、ちょっと」
 ボレアスがいつもの棚の上から横槍を入れ、くすくすと笑った。ダムゼルが非難の目を向けると、前足の上に顎を乗せて目を細める。
「事実だろ」
 ぐっと言葉に詰まったダムゼルは、咳払いをしてシンシアに向き直った。
「……まあ、ともかく、手元はキレイに。復唱」
「手元はキレイに」
「じゃあ、何がどれだけ必要か読んで」
 シンシアは効能の下の「用意するもの」にある材料欄を見た。

用意するもの(小瓶ひとつ分)
・五日草の花弁 5枚
・クズグサの根(乾燥させたもの) 10グラム
・シツメの茎 8グラム
・水 300ミリリットル

 師匠を窺うと頷きが返ってきた。読み間違えはしていないらしい。
「さあ、まずは材料の準備」
 とりあえず実践だと促され、さっそく作業が開始した。今回は道具も材料も出揃っているので、まずは分量を用意することからだ。
 ダムゼルの監視の元、シンシアは慎重に、慎重に――慎重すぎるほど丁寧に必要分量を取り分けた。花弁五枚はいいにしても、秤と計量カップを使う時は気を付けないとすぐに量がずれてしまう。
「……」
 本当なら薬の効果を落とさないためにも、何事も手早くしなければならない。シンシアは遅すぎる。が、ダムゼルたちは急かさず、黙ってシンシアの動向を見守った。初回でもあるし、きっちり計量しようという試みは悪いことではない。しかもこれは序の口で問題は次からだ。
 案の定、シンシアは師匠たちをハラハラさせることになった。
 まずクズグサの根を細かくする時点で、ナイフを持つ手がたどたどしく危なっかしい。ナイフを持ちなれていないこともあるだろう。緊張で余計な力が入っているのが明らかだ。シツメの茎を縦に切っていく過程では、今にも添えている左手をざっくりと切りそうで見ていられなかった。隣にいるダムゼルもテーブル向かいで様子を見ているノートも気が気でない。棚上のボレアスすら何度か口を出しかけ、ぐっと押し黙るということを繰り返した。
 なんとかかんとか全ての下準備が終わった頃には、シンシアよりも周囲が深く溜め息をついたほどだ。当のシンシアは師匠たちの心配など気づいてもいない様子で、落とされた溜め息に不思議そうな顔でダムゼルを見上げた。
「いいよ、気にしないで。ほら、次」
 ダムゼルに促され、また本へと目を落とす。
「水とシツメの茎を鍋に入れ、強火にかけて沸騰させる。」
 テーブル上に用意された持ち運び式の台にはすでに小さな鍋が据えられている。
 黒い鉄鍋にシンシアが水とシツメの茎を入れると、ダムゼルがパチリと指を鳴らした。鍋の下に小さな火が点る。
「火加減には注意して」
 火の調節は台のつまみで可能だった。強火にして、しばらく鍋を見つめ続け、シンシアは思い出したようにダムゼルを見上げた。
「ダムゼルさん、沸騰ってなんですか?」
「……、液体が沸くこと――と言っても分からないね、えーっと、湯気が出て泡がボコボコしてきたら沸騰したってこと」
「ボコボコ……」
 水が熱せられ、シンシアの顔に温かい空気が当たり始めた。シツメの茎が沈んだ鍋の底に、ぽつりぽつりと小さな泡が生まれ始める。それは徐々に数を増やし、大きくなり、浮き上がっては水面で弾ける。
「ダムゼルさん、もう沸騰しましたか?」
「まだだよ。これはブクブクでしょ。もっと、ボコボコしてから」
 なんて適当な、とボレアスかノートが呟いたが、ダムゼルは黙殺した。
 温かかった空気は白い湯気になり、熱さで間近に覗き込んではいられなくなった。ぐらぐらと煮える湯からは音が出る。
「ダムゼルさん」
「いいよ。これで水が沸騰した。次の作業は?」
「え、と……シツメの茎を、すくい上げるように、三回かき混ぜる。」
 はい、とダムゼルからは小さめの金属製のおたまが渡された。
 湯気のせいで鍋の底は見えないが、たどたどしく掻き混ぜる。一回目、水の色が濃くなった気がした。二回目、湯気が薄れる。三回目、微かに匂いが漂い始めた。
 なんだろうとシンシアは手を止め、鼻を鳴らして吸い込む。なんだか泥のような匂いだ。
「匂いと色は一番わかりやすい目印だよ。ちゃんと覚えておきなさい」
 ダムゼルの言葉に頷いて、シンシアはもう少し鍋に顔を近づけた。と、その時、ジャボッと水音がして、同時に泥臭さがわずかに増す。シンシアは無意識に手を上げていて、意図せず四回混ぜてしまったのだ。
 もちろん隣にいるダムゼルは気づいた。やれやれと耳を動かしたところを見るとボレアスもノートも気づいている。魔女は苦笑して、小首を傾げている弟子を促す。
 次の行程は、火を止めて湯気が消えてからクズグサの根を加え、十秒間ゆっくりとかき混ぜる、だ。
「あ……」
 鍋の中では緑色だったシツメの茎が白く変わって、代わりに水が薄い青に染まっていた。クズグサの根を加えたその液体は、かき混ぜるうちに心なしか重たくなって粘りが出る。色も水色に変わったが、泥臭さはまだ消えない。
「色が変わったら……五日草の花びらを散らす。」
 端が鮮やかな黄色に染まった花びらは、水面に落とした瞬間に溶けてしまった。そこから白い煙が出て、葉っぱの形を作る。まるで苗木が育つように四方に白い葉を広げる煙をシンシアはまじまじと見つめた。
「粗熱を取って、冷めれば完成。保存は普通の瓶でかまいません。」
「瓶はこれをお使い」
 ダムゼルが差し出した瓶は、普段使うマグカップと変わらない、シンシアの手と同じ大きさだった。
「小瓶っていうのは200ミリリットルが標準。ちなみに中瓶は750ミリリットル、大瓶は1800ミリリットル」
「これが一番小さいんですか?」
「もっと小さいのもあるよ。あまり使わないけれど」
 薬が冷めるにつれあの泥臭さは消え、五日草の花と同じ匂いがした。透明な容器に色鮮やかな青緑色を流し込み、蓋をすれば完成だ。が、蓋をしてみて、違和感がした。
「……?」
 鍋はすでに空にもかかわらず瓶の中の薬はあるべき量には少し足りない。水の量は正しかったはずなのに、なぜと少女は眉根を寄せた。
「水は沸騰すると空気に消えてしまうんだよ。少し熱する時間が長かったんでしょ」
 ダムゼルはシンシアの前から瓶を取り上げ、吟味した。
 その横顔を見上げたシンシアだったが、突然すうっと全身の血が下に落ちるような感覚がして、ふらついた。力が抜け、そのまますとんと椅子に腰を落とす。
 あれ、と少女は目を瞬いた。自分の体に何が起きたか理解できない。
「まあ、こんなもんね」
「ダムゼルさん」
 シンシアはぐったりとしてテーブルに両手をつきながら、呻くように師匠を呼んだ。なんだか体が重たい。
 ダムゼルはへたり込むシンシアにようやく気づいて、目を丸くする。
「どうしたの、疲れた?」
「はい……」
 シンシアの額に手が当てられる。
「そういうものだよ。薬作りだって魔力を使うからね」
「魔力……」
「おまえはまだ意図して魔力を使うことに慣れていないから、体が疲れたと勘違いするんだ」
 少しそのまま休んでおいで。片づけは、今回はいいから。
 ダムゼルに背を押され、シンシアは頭をテーブルに預ける。傍にやって来た黒猫が体を擦り寄せてきた。小さな背を撫でると、その体温がいつもより暖かく感じる。

*  *  *

 テーブルに伏せたままうつらうつらとしていると、ベルが響いた。ほぼ毎日耳にする通話機のそれではない。けれど、けたたましく濁った音には聞き覚えがある。
 ダムゼルが玄関のほうへ向かい、なにかを話す声が聞こえる。客が来たようだ。そしてようやく玄関のベルの音だったのかと思い出す。
 目を開けるといつの間に置いてあったのか、よくわからない丸いものが浮かぶ大瓶があった。その向こう側から、たんたんと軽快な足取りで階段を下りる音。シンシアが頭をもたげるとほぼ同時に物陰から茶色い髪を揺らして魔女が顔を出した。
「イーヴンさん」
 光沢のある赤いワンピースを来たイーヴンは、はあい、と笑顔で手を振った。シンシアも軽く頭を下げて挨拶を返す。
「こんにちは」
「三週間ぶりかしら? 前より元気そうでよかったわ」
 イーヴンは勝手にダイニングテーブルに抱えていた紙袋を置き、ここに来るといつも座る席についた。勝手知ったる我が家とばかり迷いも遠慮もない。
「もしかして寝てた? ほっぺに跡がついてるわよ」
 イーヴンは自分の左頬を人差し指で叩いてみせた。指摘され、シンシアは手で頬に触ってみる。じんわりと痒くて、ぼこぼこになったそこを袖で擦った。イーヴンはくすくすと笑っている。
「イーヴン、あんた仕事は?」 後からやってきた家主が、作業に戻りながら面倒そうな顔で来客に尋ねた。「出張じゃなかったの?」
「延期よ。今回の採取場が例の犬猿二国の国境近くなの」
 イーヴンはくるりと目を上向けて肩を竦めてみせた。上に向いた際にまだ帽子を被っていたことを思い出したようで、緑の網でできたスケスケの帽子を取り、それを脇へ置いてから頬杖をつく。帽子のてっぺんに張り付いていたヒトデがゆったりと足を動かし、テーブル越しにシンシアの興味を引いた。
「なんだったかしら、貿易の関税がどうとかで、また揉めて緊張状態だって」
「また?」
「毎度のことだけど傍迷惑なものよ。おかげで予定が全部遅れるわ。予期せず休みが取れて喜ぶべきか迷うところだけど。ところで、」
 この話はどうでもいいとばかりに打ち切り、イーヴンは視線をちらりとシンシアに向けた。当のシンシアはまだヒトデを見ている。物珍しいのだ。
「未来の魔女の修行はどうかしら、お師匠さま?」
「手始めに魔法薬調合。今日が初挑戦」
 ダムゼルは先ほど瓶に詰めたシンシア作の風邪薬をイーヴンに差し出した。傍に置いてあった瓶が動いたため、シンシアの意識もそちらに移る。
 瓶にはいつの間にか「シンシア‐001」と走り書きのラベルが貼ってあった。
「どれどれ……」
 瓶の中で波打つ液体を光にかざしながら矯めつ眇めつ、観察するイーヴンの口元が緩んだ。
「へえ、よく出来てるじゃない。色良し、粘度良し、……匂いも、ちょっと濃いけど、大丈夫ね」
 栓をし直してイーヴンはにこりと笑いかけながら瓶を返した。受け取って、気恥ずかしさからシンシアは顎を引く。
「初めてでこれなら上出来よ。将来は薬学の道に進めるかも」
「初級中の初級なんだからこれくらいは簡単に出来るよ」
 褒めるイーヴンに対して、ダムゼルはそっけない。けれども師匠の口元は薄く微笑んでいた。
「あら、意外と手厳しいのね」
「シンシアのためよ。……で、あんた本当に意味もなく来たの?」
「まさか。ちゃんと理由はあるわよ? まず、お届けもの」
 イーヴンは持って来た紙袋をぽんぽんと叩いて見せた。一見して、ただの紙袋。そういえばパンを買った時の袋と似ているなとシンシアは思った。
 ところがイーヴンの口から飛び出たのはパンとは程遠いものだ。
「まず箒でしょ。いらないかと思ったけど、手入れ道具と説明書もあるわ。ついでにフィーバスから預かった本とお菓子類でしょ」
「ちょ、食べ物と本を一緒に入れてるの!?」
 作業はもう止めにするのか、手元を片づけつつ意識半分に聞いていたダムゼルが信じられないものを見る目で振り向いた。非難を受けて、イーヴンは袋の口を開けて中を覗き込む。
「うん、大丈夫、どっちも無事よ」
「イーヴン、頼むから別々に入れてって――」
「それから前に言ってた石溶液の調合メモに、薬学部からくすねた薬品サンプルがいくつか」
「は? くすねた?」
「言葉の綾よ。デイリスからこっそり分けて貰ったの」
 人差し指を口に当てウインクしてみせるイーヴンの目が悪戯っぽく光る。一度口をつぐんだダムゼルの頬がひくりと痙攣した。
「あんた、また――」
「いーのいーの、こっちは貴重な薬草を提供してるんだから、ギブ・アンド・テイクでなんにも問題ないわ。悪いことには使わないし。で、〈ゴールデン・バレッタ〉の奥さんから依頼であなたが送った大瓶が返ってきて……」
 指折り数えながらつらつらと列挙していくイーヴンが言うものは、到底その紙袋に入りきる量でも大きさでもない。けれども前に一度、ダムゼルが魔法を使ってあらゆるものを鞄に吸い込ませていたので、シンシアは驚かなかった。
 それに、フィーバス、デイリス、石溶液、サンプル、〈ゴールデン・バレッタ〉などなど交わされる会話はシンシアが知らない名前と単語ばかりで、少女は早々に聞くことを諦め、またぼんやりとヒトデ観察に戻っていたのだ。
「シンシアは今年初めてでしょ?」
 と、自分の名前を呼ばれ、会話に意識を戻した時には、話題はイーヴンがここへ来た二つ目の理由に移っていた。
「出張が延期になったから、行けないって言ってた夏至祭に誘おうと思って」
「……今週末だっけ?」
「そうよ」
 目を細めたダムゼルから不穏な気配が溢れた。シンシアはちらりと隣の魔女を見上げる。眉間が険しい。イーヴンは逆に胡散臭いほど満面の笑みを張り付けている。なんとも奇妙な光景だった。
「悪いけど――」
「ダメよ。どうせ仕事があるとかって言い訳でしょ」
「ちょっと遠征の依頼を……」
「ハイ、嘘。遠征依頼はまた断られたって労働局の知り合いに確認取ってきたんだから」
 ふふんと口の端を上げて勝ち誇るのは茶髪の魔女。黒髪の魔女は苦々しく顔を歪めて唇を噛み締めた。
「ちなみにかれこれ五ヶ月は普通の依頼すらも受けてないそうじゃない?」
「……あんた、そんな情報をどこから持ってくるの?」
「お役所勤めだといろいろ聞くのよ」
「情報管理もあったものじゃないわね」
 本当、魔法協会はどうなってるの。
 そう不満を漏らす魔女が嫌がる理由を知らないシンシアは、ただただ首を傾げた。

To be Continued...
2014/01/23