6.

「ダムゼル」
 灰色猫と視線を合わせ、ダムゼルは息をついた。
「チッ、まったく……」
 髪をかき上げ、席を立ったダムゼルは気だるそうに玄関へ向かう。彼女が通った後は、さっきまでの散らかりようと適当な片付けようが嘘のように整頓されていく。
 玄関を入ってすぐ前に高々と積みあがっていた山も崩れ、均等な高さになる。おかげで、少しだけ高い位置にある玄関扉が、テーブルにいるシンシアからも見えた。
 また、ジリリリ……と、急かすようにベルが鳴る。
「はいはい。どちら様?」
 ダムゼルが扉を開けた玄関には、フード付きの黒衣をまとった背の高い男が二人、姿勢を正して立っていた。
 短い髪も鋭い目も漆黒で、無表情がとても冷たい印象だった。
 怖いと、シンシアの本能が訴える。
 あれは、良くない空気。
 今まで出会った村人と同じように、こちらを傷つける者のまとう空気だ。
 手前にいた男は軽く一礼して、口を開いた。声は難なく届く。
「失礼致します。我々は協会警備隊です。先程ここに余所者が入り込んだと報告がありました」
 けいびたい? けいび、たい……警備!
 一瞬何のことだかわからなかった。
 気づいて、さらに“余所者”という言葉にシンシアは身を硬くする。
 警備は、余所者を……。
 サッと血の気が引いて、首筋を嫌な汗が流れる。
「ああ、あの子のことだね」
「おいっ!」
 事も無げにシンシアを振り返ったダムゼルに向かって、黒猫が毛を逆立てて咆えた。
 二人の男が一斉に、ダムゼルが顎をしゃくった先を――シンシアを見た。男たちは小汚い少女の姿に眉をひそめる。
 眼光に怯んで逃げ腰になったシンシアの前に、庇うように黒猫が立つ。
「直ちに処置を施しますので、お引渡しください」
「そこの者――」
「ちょっとお待ち」
 一声かけて家に入ろうとした男の行く手を遮り、ダムゼルがシンシアを振り返った。
「この子はあたしの知り合いの子でね、今預かってるんだ」
 これには、黒衣の男だけでなく、シンシアや猫たちまでもが驚いた。
 こんな、薄汚れてやつれた子が、知り合いの子だなんて。今までまともに生活していた様子もない、老婆のような気味の悪い子供が。
 と、そんな目でシンシアを見、男たちはいぶかしむ顔を見合わせ、ダムゼルに疑いの眼差しを向ける。
 男たちに背を向けたダムゼルは怖い顔をして、目で何かを訴える。彼らに見えないようにパクパクと大きく口を動かす。声はない。
 シンシアは意味がわからない。眉根を寄せる。――幸運なことに、これはどちらかと言えば心配そうな表情に見えた。し、前髪の影の効果もあって、怯えているようにも見て取れた。
 一方、何かを悟ったらしい黒猫は冷静に戻ってから、振り返ってシンシアの腕を尻尾で撫でた。
「シンシア、気にしなくていい。ダムゼルが何を言っても黙って、合わせるんだ」
「猫ちゃん?」
 あの人たちも、この猫の言葉がわかるのではないのか。こんなに堂々と言ってしまっては、向こうにも伝わってしまう。
 そんな疑問を悟ったのか、
「俺の言葉は奴らにはわからない」
 と、猫が言う。
 男たちからは、黒猫が少女に甘えて、少女が 「どうしたの?」 と聞いているようにしか見えないのだ。
「あんたは、俺に喋っちゃだめだ」
 シンシアは小さく頷いて、猫の背を撫で返した。
「あーあ。あたしとしたことが、招きの言葉を忘れてたわ」
 わざとらしく言いながら、腰に手を添えたダムゼルが考え込むように右手を顎に添える。
「え〜っと。なんだったっけ? 何年も聞いてないと忘れるね……」
「あの、『乙女』……」
「そうそう、思い出した!」
 ダムゼルは、注意を引こうとした男には見向きもせずに、パンと張りのいい音で肩に伸ばされた手を殴り払う。殴られた男はその手を押さえて不機嫌そうに睨んだが、ダムゼルはそれも無視で、にっこりと笑みを浮かべた。
「ようこそ、あたしたちの世界へ。仲間として歓迎するよ」
 シンシアと黒猫が顔を見合わせてほっとしたのも束の間。
「困ります、そんな勝手に!」
 ダムゼルの後ろで男たちが苦い顔をして、勝手に話を進めたことを抗議する。
「なんだい。あたしは招いたんだよ。もう余所者じゃないでしょ?」
「しかし『源泉の乙女』、規則があります」
「我々はすでに報告を受けてやってきているのです!」
「あんたたちが黙っていれば何も問題ないでしょう?」
 眉根を寄せたダムゼルは男たちに向き直り、腕を組んで仁王立ちで立ちはだかる。
「そうはいきません」
「たとえあなたであっても例外は認められません」
 男たちは、もちろん引かない。
 ダムゼルはいらいらしているのを主張するように、タンタンと片足を踏み鳴らす。
「頭の固いことだね。ド忘れくらい誰だってあるんだから、多少は多めに見てちょうだい。……それとも何? あんたたちは一度も失敗やド忘れや勘違いすらしたことないの?」
「ねえ、猫ちゃん。あれって大丈夫なの?」
 屁理屈をあたかも正論のようにして規則を曲げろと迫り、軽く脅しにかかっているダムゼル。と、仕事を全うせんとしてやってきて、正論を言っているのに、屁理屈に押されてたじろぐ男たち。
 両者のやり取りを見守るシンシアは小声で猫たちに問いかけた。
「ああ、なんとかなるだろうよ」
 先ほどの緊張感の欠片もなく、灰色猫は伸び伸びと欠伸をかます。
 シンシアに背を撫でられていた黒猫は唸りながら後ろ足で首を掻いた。
「でも、協会の連中を脅して、いいのか……?」
 さっきから聞く“協会”が何かはわからないが、きっと偉いものなのだろう。逆らってはいけない、ということだけはなんとなく伝わる。
 シンシアにとっては、なんとか連れ出されないようにダムゼルに任せるしかない。……ないのだが、なんだか男たちに悪いという気がして、ものすごく心が痛む。
「ああもう! しつこいね! 帰って監視部に間違いを報告したらいい話でしょうが」
「そうはいきませんとさっきから言っているんです!」
「あんたたちが間違いを認めたくないなら、魔法障害でもでっちあげたらいいでしょ!」
「だから、そんな嘘をつく必要がどこにあるんです!」
「たかが一回の軽いミスで知り合いの子を処置されちゃ困るんだよ!」
 論争はどんどん激しくなる。二対一なのに、ダムゼルはよく張り合えるものだ。
 間違っていても一向に非を認めない上、むしろ共犯を迫る――。全然諦めようとしない魔女は、面倒臭いやうっとうしいを通り越して、逆に素晴らしい。
 相手をする男たちは、この堂々巡りにほとほと嫌気が差してきているようだ。
 それでも、「見逃せ」、「見逃さない」 と、数十分間の悶着が続いた後、ようやく決着がついた。
「……では、本当に今回限りですよ」
 顔も声も苦々しく片方が言い、片方が堪えるように手に持つ棒のような何かをぐっと握り締める。
「絶対に次はありませんよ。他言も無用ですよ。いいですね?」
「冗談じゃないよ。こっちが不利になることをわざわざ言うもんか」
「ではこれで、我々は失礼します」
「ご苦労サマでした」
 心底嫌そうな顔をして男たちは踵を返す。
 引き上げた黒衣の男たちをそれなりに見送り、ダムゼルは勝ち誇った顔で戻ってきた。
 黒猫とシンシアが顔を上げる。
「安心おし。奴ら諦めて帰ってったよ」
 心配そうだったのが読めたのか、ダムゼルはにっこりと得意顔になった。
「まさか本気で追い返すとは……」
「さすがだな」
 黒猫は呆れた半眼、灰色猫は愉快そうに目を細めた。
 ふふんと鼻高々なダムゼルは腕を組んで胸を張る。
「すごい、ですね」
 呟いたシンシアを見て、上機嫌なダムゼルは気さくな雰囲気になる。
「じゃ、改めて……あたしはダムゼル。『源泉の乙女』だよ」
「源泉の乙女?」
 シンシアは聞き返す。そういえば、さっきの警備隊の人たちも、彼女を『源泉の乙女』だとか『乙女』と呼んでいた。
「一人前の魔女や魔法使いが持つ名前だよ。一人前の証で、仕事の時に使うんだ」
 よくわからないけれど、大事なものらしいということだけ理解する。
「まあ、ダムゼルって呼べばいいよ」
 そこで、灰色猫が身のこなしも軽やかにダムゼルの胸に飛び込んだ。ダムゼルも見越していたように猫を抱きかかえ、背を撫でる。
「こっちはボレアス」 ダムゼルが言った。
「魔法使いの名は『大海原の北風』だ。せいぜい頑張れよ、小娘」
 ボレアスはやはり少し厭味っぽくに笑った。
 シンシアはあまり気にせず、小首を傾げる。
「魔法使いなの?」
「本当は、な。ダムゼルと同じ年だ」
 言われても、ダムゼルが何歳かは知らない。そんなにおばさんではない。若いんだと思う。
 シンシアがぱっとダムゼルを見ると、ダムゼルは逆にボレアスに目を落とした。
「今はこんな姿だけど、いずれちゃんと人間の姿を見られるよ」
 それから 「――で、」 と、二人は息ピッタリに黒猫を見やった。
 ダムゼルが続ける。
「おまえは何て名乗っとく?」
「…………ノート」
 どことなくぶすっとした黒猫は短く名乗った。
 この時シンシアは初めて知った。黒猫は、なんだか自分の名前が嫌そうだった。
「いいかい? 基本的にはボレアスとあたしが、あんたの師匠。ノート、おまえは世話役だよ」
「え……」
 見開いたシンシアの横からすぐさま黒猫が、納得がいかない、と言いたげに立ち上がる。
「なんで俺が世話役なんだ」
「当たり前。あたしは忙しいんだ。連れてきて 『ハイ、後よろしく』 だなんてふざけんじゃないよ。おまえがたいがいの面倒を見るんだ」
 ノートはぐっと言葉に詰まる。もっともなので言い返せないのだ。
「ってことだから、わからないことはまずノートに聞くんだよ。いいね?」
「え、あの……弟子に、してくれるんですか?」
 おずおずとシンシアは訊ねる。
 とんとん拍子でコトが進むのはこういうことなのか。
「そうだよ」
 ダムゼルは疲れた様子で片手を額に当てた。引いたままだった椅子に深く腰掛け、短く息をつく。
 ボレアスが腕の中から身を乗り出し、ダムゼルの肩に手を置いて気遣うように頬を舐めた。
「嘘ついてまで預かるって言っちゃったし、招いちゃったからね。もう谷の外へは出るに出られないんだよ」
「出られないって……」
「この谷のことを口外してもらっちゃ困るんだ」
「おまえが他の人間に教えて、人間たちが押し寄せるともわからないからな」
 ボレアスがその水色の目を細める。
 ダムゼルも頷いた。
「そう、魔女なら口外できないように契約が有効だけど。だから責任取ってしっかり魔女になってもらわないと」
「じゃあ、……魔女になれなかったら、ずっと?」
「一生、この谷に住むことになる」
 黒猫が言っていたことがようやく現実味を帯びてきた。
 ――あんたが上手くやりさえすれば戻ってこられる。
 あれはこういうことだったんだ。
「そう、なんだ……」
 困惑して俯いたシンシアを見て、ダムゼルの目の色が変わった。
「まさか、そんなことも知らないで弟子入りさせてなんて言ったんじゃ……」
 ダムゼルはシンシアを睨み、すぐさまノートに標的を変えた。
「おまえ、ちゃんと話したんだろうね? ただ連れてきたなんて承知しないよ」
 シンシアは慌てて顔を上げた。
「聞きました、ちゃんと」
「なら、あんたも、半端な気持ちで魔女になろうなんて思わないんだよ」
 覚悟はあります、とシンシアは頷いて、ひとまず警備隊から助けてもらったお礼を言った。
「わたしはシンシア、です……。これからお世話になります」

To be Continued...
2009/07/31