5.

「あ、れ……?」
 シンシアは首をかしげて、もう一度ベルを鳴らす。
 次の瞬間、家の中から爆音が轟いた。
 シンシアたちがいる、玄関前に設けられた木造のポーチやその横の窓がガタガタと激しく揺れ、ぱらぱらと埃や細かい木屑が頭上の梁や屋根の隙間から降ってくる。
 ガッタン。バッタン。物がぶつかるような音が大きくなり、目の前にあった扉が消えた。
「――ったく、誰だい!! 来るなら連絡でも寄越せって…………」
 扉を開けて現れるなり、激しく食って掛かってきた女性はふと言葉を飲み込み、足元の猫を見下ろした。
 うねる黒髪は首の後ろでまとめてあったが、乱れた毛束があちこちから肩に垂れ下がっていた。その髪もそうだったが、整った顔立ちには所々黒い煤のようなものがついている。
 色素の薄い、青味がかった灰色の瞳をしたその女性は、目の前にいるはずのシンシアには目もくれなかった。
「あら、おまえ。……もう帰ってきたの。続かないね」
 鼻で笑う女性に見下ろされ、黒猫は居心地が悪そうにうつむいた。
「………」
「なにか、言うことはないのかい」
「……ダムゼル、頼みがある」
 黒猫は女性を見上げた。ダムゼルと呼ばれた女性はピクリと眉を跳ね上げる。
「はっ。生意気なことだね」
 この人、猫ちゃんと喋ってる。
 それが当然というふうに、ごく自然に。
 これまで自分がなんのために人々から嫌われてきたのか、シンシアはわからなくなった。自分だけが動物と話せて、みんなから怖がられていたと思っていた。
 自分だけだから、仕方のないことなんだと思っていたのに。
 今までのことがとても無意味に思える、空虚な瞬間。
 呆然とそのやり取りを見つめていたシンシアの肩にふいと重みが伝わった。視界の端に映る黒色を見て、猫が飛び乗ったのだと知る。
 猫につられて上がった女性の視線が少し横にずれる。
「おや……、その子はどちら様?」
 今、初めて気がついたというように、女性が……ダムゼルがシンシアを見た。そして、すべて言い終えるまでにその目が胡乱気にすがめられる。
「町の人間じゃないね」
 シンシアは小さく身をすくめた。目だけはそのまま、顔を隠すようにシンシアがうつむくと、ダムゼルはきゅっと口を結んで、戸口を塞いでいた体を横に向けた。
「……ともかく、中へお入り」
 通された家の中は、すさまじく怪しげな物品がそこら中に溢れていた。
 玄関を入って右に数段のゆるやかな階段があり、目の前には手すりになる柵がある。そのすぐ向こうに、怪しいものが高々と積み上げられてできた壁が視界を阻んでいる。手すりがあるところまで崩れないのはわかるが、その上部分はどうして倒れてこないのか不思議で仕方ない。
 階段を降りたあとは、ひと一人分隙間が空いた通路がほんの少し続いて、そこにもごろごろといくつか障害物があった。それに、壁代わりだったらしい背の高い戸棚が、ホンモノの壁に倒れて行く手を塞いでいた。
 足場を掻き分けながらダムゼルは垂れ下がる髪の毛を耳にかける。
「やれやれ……。せっかく途中までいったのに……」
 ブツブツとぼやきながら、行く手をふさぐ傾いた戸棚を潜ったダムゼルに続き、シンシアも足元に気をつけながら、すぐ前を行く猫を追った。
 戸棚を潜ったあと、振り向いて通ってきた後ろを見てみると、なぜか戸棚は起き上がっていた。その向こうの玄関扉に続く階段までは、歩くのに苦戦したせいか遠いと思っていたが、思ったより距離はなく、普通に歩けば五、六歩くらいのものだ。
 シンシアは戸棚の不思議に首を傾げたものの、すぐに全体が見えるようになった部屋を見回した。
 右側の部屋を見ると、床のほとんどを覆っている物に囲まれて古びたソファーがあった。その上にも本となにかの布が占領している。ソファーが向いた先には暖炉があった。
 リビング(とシンシアは勝手に解釈した)の逆側は、どうやらダイニングのようだ。
 ずいぶん広いはずの空間の真ん中には、でんと大きなダイニングテーブルが置かれている。その周りは時に天井まで届くほどの物で埋めつくされ、残念ながらテーブルの周りを一人が通れるほどしかスペースはなかった。
 ダイニングテーブルにもまた、本やら紙束やらがいろいろと重ねて置いてあって、それが卓上の半分ほど占領している。どちらも妙な圧迫感を与え、余計に狭く息苦しく感じた。
 それのみならず、ダイニングには煙と塵と本のページとおぼしき紙があちらこちらに飛散している。一部では何かが割れ、床に破片が飛び散っていた。
 まるで今さっき、この家ごと揺さぶられた後のようで、一言でいうと、荒れていた。一番ひどい有様だ。
 さっきの騒動は間違いなく何かの爆発だったようだ。それにしては、やはり崩れ落ちていない物の山が謎で、不思議なアンバランスをなしている。
 部屋の真正面にはガラスの隅がくすんだ横長の窓が二つあり、出窓になっているその片方には、お世辞にも普通とは言えない植物の鉢植えが大・中・小と所狭しにならんでいる。
「あんた、突っ立ってないでそこへお座り」
 適当に周りを片しながら道を作っていたダムゼルが振り返った。
 六人くらいは腰掛けられそうなダイニングテーブルの割りに、揃いの椅子が二脚しかなく、シンシアは奥側のそれに座るよう促がされた。窓を背にして座ったシンシアの向かいにダムゼルが腰掛け、腕を組む。
「で?」
 深く息をついたあとでダムゼルが短く問いかけた相手はシンシアではなく、テーブルの上に飛び乗った黒猫だ。
「この子を弟子入りさせてやってほしい。魔女の修行をさせてやってくれ」
 ダムゼルの眉がぴくりと動いた。眉間に険しくしわが寄る。
 シンシアも驚いて猫を見た。
 魔女。
 魔法を使う、不思議な女の人。ダムゼルは、その魔女なのだろうか。
 小さい頃のおとぎ話では、魔女のおばあさんはとても優しい、いい人だったけれど、人を呪って不幸にする悪い魔女もいた。そして、シンシアが訪れた村では、魔女に対する考えはどちらもあった。人々を助けてくれるのだと言った村もあれば、シンシアを魔女だと罵った村もあった。
「バカなことをお言いでないよ。その子は違うだろう」
「力はあるんだ、だから――」
 ダンッとダムゼルが机を叩いた。音に驚いて背を伸ばしたシンシアの傍らで、びくりと身を竦ませて黒猫は黙る。三角の耳は後ろを向いて伏せられた。
「力なんて誰でも持ってるのさ。素質のないその子は違うんだよ。それにその子自身はどうなんだい? 自分の頼みすら言えないの?」
 最後の一言はシンシアに対してだ。怖い剣幕で向けられたダムゼルの視線にシンシアは声を詰まらせた。ダムゼルの目は、昔から受けてきた眼差しによく似ている。
「自分で頼めない時点でその子が望んでないってことだよ」
 鋭い視線がシンシアの視線を絡め取って離さない。離せないから、吸い込まれると錯覚するほど、久々に人の目をしっかりと見つめることになった。
 そして、違うと気づく。
 この目は、何度も見てきた目と違っていた。苛立ちや怒りがありはするが、それはシンシアに向けているのではないのだ。
 シンシアは困惑した。
 どうしよう。どうするの?
 またあの村に戻るの? またああやって無意味な生活をするの? でも、この人は大丈夫なの? また、わたしを……わたしを、拒絶するかもしれないのに。魔女がどんなのか、よくわからないのに。
 シンシアは考えられるだけ考えた。時間をかけたつもりだったけれど、答えが出るのは、周りからすればすぐだった。
 魔女でも何でもいい。人に喜ばれるようになるのか、本当に人から嫌われるようになるのか。結果がどちらでも、新しい世界に踏み出すと決めたのだ。
 シンシアはダムゼルを真っ直ぐに見返して、
「……お願い、します。弟子入り、させてください……!」
「悪いけどね、」
 もう決まっていたかのようにダムゼルの返事もすぐだった。
「あたしは弟子を取らないことにしてるんだ。自分のことで精一杯でね、他人の面倒まで見てられないんだよ」
「それでも、お願いです。いきなり来て、無理はわかってます、でも」
 シンシアは食い下がる。
 ダムゼルの目つきと声音が強くなった。
「何度も言わせるんじゃない! 駄目なものは駄目なんだよ! …………わかったら、見つからないうちにさっさと出ておいき」
 何も言い返せないシンシアに、ダムゼルは低く唸る。
「よそ者は捕まるよ」
 そんな……。
 さっと青くなったシンシアの前に黒猫が身を乗り出した。
「身内の人間が許可すれば大丈夫なはずだ!」
 毛を逆立てて牙を剥く猫に、ダムゼルはふんと鼻を鳴らして頬杖をつく。
「おまえは人間じゃないだろう」
「だれがッ――!」
 大声にシンシアは身を竦めて猫を見た。ずっと静かで抑揚に欠ける話し口調だった黒猫が、初めて声を荒らげて怒鳴ったのだ。
 その時。
「ったく、うるさいと思えば……」
 シンシアの右側、奥のドアが開いて、うっとうしいと言わんばかりの男の声が黒猫を黙らせた。
「帰ってたのか、小僧」
 ドアからは誰も出てこない。と思えば、下から灰色の猫がするりとテーブルに飛び乗った。黒猫より細い体躯で、滑らかな毛並みがよく世話されているようだ。寒々しい水色の瞳が細められる。不思議な文字が掘り込まれた首輪とそのトップが小さく音を鳴らした。
 ダムゼルの方へ歩む猫がシンシアを見据えた。
「その娘はなんだ?」
「バカが連れてきたんだよ」
 答えたダムゼルを聞きながら、灰色の猫はじろじろとシンシアを見て、鼻を鳴らした。
「ふん。また薄汚い娘だな。それに鳥臭い」
「ボレアス!!」
 にやりと厭味に笑ったように見えた灰色の猫に向かって、黒猫はさらに激しくいきり立つ。カラスたちとの時にあった、あの緊張感が甦る。
 コッコッ。
 ふいに硬い物同士がぶつかる音がした。――今度はシンシアの背後からだ。
 険悪な雰囲気を吹き飛ばし、顔色を一変させて立ち上がったダムゼルや二匹の猫に釣られて振り返ると、ガラス窓の向こうから数羽のカラスが窓を小突いて鳴いていた。中に入ってこようとしているようにも見える。
「まさか見張り番!?」
 ダムゼルの鋭い声に揃って猫たちが姿勢を低くして爪を出した。さっきとは別の緊張が走る。
 けれど、シンシアは普通に、どちらかと言えば安心したように窓に駆け寄った。
「あ、コラ――」
 ダムゼルが止めたが遅い。シンシアは鍵を外して両開きの窓を押し開けた。
「クレア!」
「大変だよシンシア!」
 窓を開けるや窓枠に止まったカラスたちは鋭く鳴いた。
「町の方からヘンな奴が来てる!」
「ヘンな奴?」 シンシアは聞き返す。
「真っ黒な服を着た奴がやって来るんだ!」
「このままいたら危険だよ!」
「早く逃げて!」
「えっ、でも――」
 遮って、先ほどシンシアも鳴らした玄関のベルが鳴り響いた。
「来た!!」
 バサバサとカラスたちは飛び上がる。
 みんなの視線が一斉に玄関へと向いた。

To be Continued...
2009/07/19