2.

 残っていた見送り役のカラス数羽に案内されて森を出る途中で、シンシアは薬草をいくつか摘み、少し寄り道した川でそれらを洗った。
 それから切り株の場所まで戻ってくると、シンシアはボロを深く被り直し、もう一度ボロの両端で猫と薬草をきっちり包み隠してから村へ向かった。
 足取りはそう軽くない。案内役のカラスはシンシアの歩調に合わせて周りを旋回した。
 少し歩くと背の高い木々がなくなり、生い茂った緑の向こうに煙が見え始めた。
 森が開けると村を囲む獣避けの柵が現れる。シンシアは前がぎりぎり見えるくらいまでうつむいた。影が落ちた顔はさらに見えなくなる。
 ひっそりとした小さな村だ。数々の野菜が育てられている畑、小屋へ追い立てられる家畜、煙と一緒に夕食の匂いが漂ってくるログハウス。狩りから帰ってきた猟師、今日の畑仕事を終えた農婦、家路につく子供たち。――ごく普通の村の光景だった。
 だが、森からカラスがやってきたのを見た途端、人々の表情が変わる。
「あの子よ」
「あいつだ」
 森を出て村へ帰ってきたシンシアが家への道を歩く。それに気づいた者から、冷えた空気が次々に伝染し、楽しげだった雰囲気は一瞬にして吹き飛んだ。
 植物で編んだカゴをさげて井戸端会議をしていた主婦たちは口元を手で隠して囁き合った。男たちは不機嫌に眉をしかめてあからさまな舌打ちをした。同世代の子供たちは奇異の眼差しを向けて、くすくすと嫌な笑い声を響かせる。赤ん坊や小さな子供は泣き出すし、老人はシンシアにむかって悪霊払いのお祈りを唱える始末だ。
「おそろしい、魔物の子……」 誰かが囁いた。
 聞こえてしまったシンシアは、彼らに負けないくらい不機嫌に眉根を寄せると立ち止まる。
 付き添っていたカラスたちが口々に鳴いて、家々の屋根に止まった。声も止んだ。
 シンシアが周囲を見回しても、村人たちはサッと視線を逸らして知らないフリをする。なのに、シンシアが歩き出すと、また彼女を見て囁き合うのだ。その好奇と憎悪の視線を受けながら、きつく唇を噛み締めたシンシアは足早に家に帰った。
 家と言っても、村の端にある小さな小屋だ。その小屋の屋根に止まり、シンシアの帰りを待っていた別のカラスたちが周囲を監視するように目を光らせた。
 人々の視線と言葉とを断ち切るように扉を閉め、閂の鍵をかけるとようやく安堵の息をつく。
 シンシアはボロを取ると椅子に引っ掛け、小さなベッドに猫を下ろした。
 この粗末な小屋には、椅子とギシギシいう今にも壊れそうなベッドだけしかない。狭い上に窓もなく、なのに隙間風はたくさん入ってくる、本当に倉庫のような小屋だった。
 シンシアは薬草を千切って猫の目立つ傷に貼りつけた。今日はこれくらいしか、してやれない。それからシンシアは猫にボロをかけ、自分はその隣に乗っかると小さく丸まって目を閉じた。

*  *  *

 シンシアは一年前にふらりとこの村にやってきた。
 家族も友も連れず、たった一人だったシンシアに、村人は 「小さくて汚いが」 と、使っていなかった小屋をやったのだ。
 子供のシンシアを何かと気にかけた村人だったが、シンシアは村人に頼ろうとはしなかった。食べ物も家具も何一つ欲しがりはしない。トイレは共同があったが、風呂も借りようとはしないし、寒い冬ですら毛布の一枚もなく過ごしていた。
 そうして日が経つうちに、当初はわからなかった異変が徐々に見え始め、これが村人には不気味で仕方なかった。素性のわからない、謎に包まれた少女が、得体の知れないモノに見え始めていた。
 また不気味さに拍車をかけるように、シンシアがやってきた次の日から、大量のカラスがあの“西の森”に済みつくようになった。
 この土地には、カラスを不幸の象徴だとか災いの元だとか、そういった宗教的な考えはあったものの、とうの昔に廃れていた。それでもゴミや畑を荒らすから、村人はカラスを良く思わないでいたのだ。
 そしてある日、とうとう今の状況を作る決定的な出来事が起きた。
 大群のカラスを少しでも追い払おうと森に入った村人たちは、シンシアがカラスに囲まれて会話をしているのを目撃したのだ。
 いつもフラフラと森へ入っていくシンシアを不思議に思っていた村人たちだったが、その光景を見て怒りを募らせた。
 シンシアがカラスをけしかけていたに違いない。シンシアが来たからカラスも増えたんだ。
 そして村人は、同時に恐怖も抱くようになる。
 カラスと話せるシンシア。
 何も食べないシンシア。
 寒さも感じないシンシア――
 ――シンシアは魔物に違いない、と。
 村に魔物がいるなんて冗談じゃない。いったい何を企んでいるのか。早く追い出すべきだ。村人は口々に言った。ただ、誰もその役を買って出ようとしなかった。どれだけシンシアを憎んでも、村人は誰一人としてシンシアに手出しをしなかった、――できなかったのだ。
 シンシアの秘密を知った翌日から、カラスたちは騒ぐことも畑を荒らすことも止め、代わりに村中の家の屋根や木に止まって、まるで監視をするかのように村人の様子を見始めた。一日中、ずっと。
 シンシアの周りには必ずカラスが飛び、村人がヘタな行動をしようものならば、ギャアギャアと騒ぎながら、くちばしと爪で威嚇したのだ。だから、ああしてあからさまに敵意や嫌悪を見せることだけが、村人の唯一の意思表示だった。
 みんながうとましく思うなか、シンシアはただ独りでカラスに囲まれ、淡々と日々を過ごしていた。

To be Continued...
2009/05/1