「ところで、猟師さんの名前は?」
「俺はジャン」
「ジャンね。私はシャロン」
「え、シャロン? 白雪姫じゃないんですか?」
「まさか。それは単なるあだ名だよ」

 あと、いい加減に変に敬語を挟むの止めたらどう? もうお姫様じゃないんだし。

5.白雪姫とエキストラ

 幸い、ジャンとともに彼の村へ逃亡した私に追手はかからなかった。だが、村に辿りついた時、私の登場で村人たちは騒然となった。私は汚れきって怪我だらけだったし、ジャンが犯罪でも犯したのかと村の大人たちは凄い剣幕でジャンを取り囲んで、事態を修めるのに苦労した。
 その後、村長さんの家で開かれた緊急集会で事情を説明すると、村人全員が私に同情し、お后への怒りを燃やしてくれた。結果、晴れて私は村人の全面協力で匿ってもらえることになり、私はそのままジャンの家にお世話になることになった。御家族はとても親切で感じの良い人たちだ。
 みんなは私を姫だからととても気を使ってくれたが、私の希望で今は普通の村娘として接してもらっている。
 村娘生活は、まあ、順調である。――私の絶望的な不器用さと運動神経のなさを除いては。

「あっ……!」
「いやーっ! シャロン!」
「きゃーっ!! ちょっと大丈夫!?」

 ぐきっと嫌な感触で右足首の安定が消え、ふらりと倒れ込んだ。とっさに手を突くが間に合わず、私は盛大に倒れ込む。ずりっと、もう若干慣れてきた土の感触がむき出しの掌と服越しの腕に伝った。
 すかさず、後ろから来ていたジャンヌと、先行していたジャンの妹マリーが悲鳴を上げて駆け寄る。
 その間にも、せっかく収穫したリンゴがごろごろと転がっていく。あーあ、早く拾わないと。

「あー、ごめん、リンゴが……」
「そんなことより怪我は!?」
「手を、擦りむいた……」

 起き上がって土を払うと、掌の皮が少しだけ剥けている。血が出ていないのが幸いだろうか。
 大丈夫だと呑気に返すと、マリーがどこがと叫んだ。

「シャロン、ほっぺた血が出てる!」
「え」

 ぐいっと袖で拭ってみると薄く色がついていた。どうやら倒れた拍子に草で切ったようだ。あまり痛くないので、あらら、と他人事のように思っていると、マリーとジャンヌが眦を吊り上げた。

「こら、シャロン! ダメじゃない! どうして汚れた方の袖で拭うの!?」
「傷が悪化するでしょ!!」
「ご、ごめん」
「はやく洗わないと。立てる? 足、挫いた?」

 ゆっくりと立ち上がるが、やっぱり先ほど躓いたときに足を捻っていて、鈍い痛みが走る。足を挫くのはこれで何回目だろう。
 ふらついた体は咄嗟に腕を掴んだジャンヌのおかげで再び倒れずに済んだ。まともに立てない私に呆れた顔をして、マリーが肩を貸してくれた。ジャンヌは私が持っていた籠を取り上げる。

「リンゴは私が回収しておくから、マリーとシャロンは先に村に戻っていて」
「え、でも……」
「でもじゃないの! 怪我人は大人しくする!」
「はい」

 マリーに支えられながら村まで戻ってきた私は、井戸で手と顔の汚れを落とし、ジャンの家のポーチで治療を受けた。私がよく怪我をするせいで、この頃マリーの治療の手つきがやけに手馴れてきている。
 私は村の農作業を手伝っているが、こうして毎度どこかしら怪我をするため正直迷惑しかかけていない気がする。今日はリンゴ園の収穫で、収穫は無事に終わったから今日こそはと思ったんだけれど。
 不甲斐ないことを謝ると、マリーは期待はしていないとバッサリ切り捨てた。元王族の私が役に立たないことは明白で、彼女の優しさなのだろうけれど、あんまりにも直球なのでちょっと泣きたくなる。

「私はまたリンゴ園に行くけど、シャロンはここでじっとしててよ?」
「わかってるよ」
「無闇に動いちゃ駄目よ? いーい? もうすぐジャンが返ってくるから」
「大丈夫、動かないよ」

 釘を刺していくマリーは、私よりもずっとしっかり者だ。とても五歳下とは思えない。
 マリーだけでなく村の子はみんなしっかり者だ。私がどれだけ甘やかされていたかがよくわかる。

 私はポーチに腰掛けたまま、マリーが持ってきた編み物一式を傍に引き寄せた。ここに来てから約二か月、私が唯一できると判明したことといえば、編み物と網作りだった。これならなんとか怪我をせず、なおかつ人並みかそれ以上の出来栄えが期待できる。どちらも怪我をする要因がないからだ。
 そういえば、お后も裁縫の最中に指を突いていたな、と思い出す。黒い髪、白い肌、バラの頬……のあの話。きっと私の不器用さは遺伝だ。そうに違いない。

 編み物に集中していると、マリーの言うとおり、一時間もしないうちにジャンが帰ってきた。

「おかえり」
「おう、ただいま。……って、また怪我か」
「あー、まあ、ね……」

 ジャンは私の足首と手と頬を順番に見て溜め息をついた。軽快にポーチの階段を上り、私の隣に腰掛ける。背負っていた矢筒と弓矢は私とは反対側に置かれた。

「生傷の絶えないお姫様ってのはどうなんだ?」
「まあ、ね……。でも、今はお姫様じゃないし」
「いや、村娘でも傷だらけはさすがに気にするもんだぞ」
「そう、かな」
「シャロンの運動神経には期待してないが……」

 せめて顔くらいは庇えないか、とはジャンのみならず皆から言われることだ。せっかく可愛い顔なのに、せっかくの肌なのに、などなど……。
 けれど、暗殺の日に自業自得でついた頬の切り傷は薄くではあるが痕が残ってしまったし、私は顔にもういくつか傷がつこうと気にしない。ひとつもふたつも一緒だろう。
 そう言うとジャンは何とも言えない複雑な顔をして、考え方が男前だとか、無頓着すぎるだとか小言を言う。こういう時、ジャンはハンスに似ているなと思う。

 ジャンは私の隣に腰掛けたまま、最近よく暇潰しにしている彫刻を始めた。木片を小刀で削り置物を作って、出来が良ければ市場に持って行って売るのだ。今ジャンの手の中にあるのはまだ歪な凹凸で、何を作っているのかはわからない。
 それぞれに黙々と作業をしているとマリーが戻ってきた。マリーも同じようにポーチに腰掛けて裁縫を始める。お喋りな彼女の参加で場も賑やかになる。

「昨日、夢を見たのよ。シャロンが出て来た」
「へえ?」
「綺麗なドレスを着て、お城で王子様とダンスをしていたの」
「え、それって私が?」
「そうよ。決まってるじゃない!」

 本当に素敵な夢だったわ! とマリーは照れた顔できゃっきゃとはしゃいだ。
 彼女の夢の話は面白い。私はあまり夢を見ないから、余計に。

「もうロマンチックで、絵本の中のお話みたいだった!」
「ふうん、どんな?」
「えっと、暗殺を任されたジャンが白雪姫を逃がして、白雪姫は森の奥に住む七人の小人に助けられて一緒に暮らすの。優しい小人と森の動物に囲まれて楽しくね」
「小人……」

 ぽつりと呟く私と同じく、隣でジャンが怪訝そうな顔をしていた。
 小人って、身の丈が小さい人間のことだっけ。七人もの小人とキャッキャウフフの毎日……。なんだか笑えそうであまり笑えない光景だ。

「でもね、ある日、白雪姫が生きていることがお后に見つかって、殺されちゃった」
「珍しいリンゴだって言われて毒入りリンゴとか食べそうだよな」
「ジャン、私をどれだけ意地汚いと思ってるの」
「ジャンすごい! まさしくその通り、白雪姫は毒リンゴを食べて死ぬのよ!」
「ええっ!?」

 そんな馬鹿な!
 よくわかったわね、なんて感心するマリーへ反論できずにいる傍で、ジャンが腹を抱えて大笑いしている。

「死んだ白雪姫はまるで寝ているようで、小人たちは埋めることができなくて、ガラスの棺に入れておくことにした」
「それで? 中で腐ってチャンチャン、か?」
「ちょっとやめてよ! ジャンは黙ってて!」
「うーん、この際埋める埋めないはどっちでもいいけど、結局私は毒リンゴ食べて死んでるんだよね?」
「気にするとこはそこか?」
「だって、さすがに間抜けすぎる……」
「まだ終わってないから聞いて! ところが、よ! 隣国の王子様が噂を聞きつけてやってきて、経緯を聞いて、ぜひ姫を城で弔わせて欲しいと言うの。そして棺を運ぶ時に揺れた拍子に、なんと白雪姫は息を吹き返した!」
「え、生き返るの?」
「実は毒リンゴが喉に詰まっていて、白雪姫は仮死状態だったってわけ!」
「ブフッ――!」
「わー……」

 もうジャンの笑いの沸点は限界だったようだ。再び吹き出したジャンはヒイヒイと息を切らしながら背後に倒れ込み、体を震わせて笑いだす。ナイフを持ったままなので少し心配だ。
 マリー曰く、その後、夢の白雪姫と王子は恋に落ちて、王子のお城で結婚するそうだ。
 他人事なら「まあ、素適」と言えるが、その白雪姫が自分だと思うと正直反応に困る。騙されて毒リンゴを喉に詰めて死にかけた挙句、偶然出会った王子様と一目惚れして結婚――あまり、嬉しい展開ではない。
 私は不満の発散として、まだ転がっているジャンの、こちらに向いた背を叩いた。

「ジャン、いい加減笑うのやめなよ。あとナイフ、危ないよ」
「ちょ、待っ……あははっ、ははは!」
「もー……」

 ようやくジャンが落ち着いた頃、マリーが思い出したように綺麗な赤いリンゴを差し出してくれた。今日のおやつだって。やった。
 ここの村の人は朝と夕方の二食しか食べないそうで、私はお腹が持たない。おやつがあるのとないのとでは大違いだ。

 良く熟れたリンゴをかじりながら、さっきの話を思い返す。
 お后が変な気を起こさなければ、どうなっていただろう。いずれはどこかの王子の元へ嫁いだだろうか。それとも王族か貴族と結婚してこの国の女王になっただろうか。
 それか、もしあの場でジャンと逃亡しなかったら、どうなっていただろう。……小人が助けてくれるとは思わないから、逃亡して良かったと思う。暗殺を任されたのがジャンのような人で幸運だった。
 リンゴをかじっていると、マリーが母親に呼ばれて家の中に戻っていった。一足先に食べ終えたジャンも、弓矢を片づけに立ち上がる。

 こうしてうららかな午後には時折り、城の庭で過ごしたお茶の時間を思い出す。自分ではテーブルの準備もしなかったあの頃。侍女の給仕に甘えてケーキを食べて紅茶を飲んで、ハンスがやってきて説教が始まって……。繰り返された日常は、なかなか忘れないものだ。

 まだ少しだけ城を懐かしく思うこともある。今の生活は城での生活とは比べ物にならないくらい大変で疲れるけれど、なかなか楽しいし、リンゴも美味しい。すごく美味しい。

「シャロン!」

 ふと呼ばれて顔を上げる。ご近所の男の子が手を振っていた。隣にはマリーもいる。

「うちの母さんがリンゴのケーキ焼いてくれてるんだ! 食べにおいでよ!」
「ホントに!? やった! 行く!」
「シャロン、それ、ちゃんと片づけてからよ! でないとあげないから!」
「え!? 待って待って! すぐ行くから、私の分置いておいてよ!」

 マリーの意地悪!
 慌てて立ち上がり、傍らに散らばった糸玉と編み針を集める。あの子のお母さんの焼きリンゴケーキは村で五指に入る私の好物だ。

 こうしてのんびり暮らしているけれど、いつお后に気づかれるかわからない状態だ。
 でも、……ま、いっか。
 とりあえず生きているし、今のところは平和だ。何か起きた時は、その時になったら考えよう。
 今はとにかくリンゴケーキだ。

end
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2014. 2/17
◇Photo/ clef
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