「遅いな……あの猟師、上手くやったのか……」

 白雪姫を連れて森の奥へ行ってから、かれこれ数十分。猟師はまだ戻ってこない。馬と荷物を見張っていた臣下は、二人が消えた方へ視線をやった。
 手こずっているのか。それとも……。
 様子を見に行こうかと悩み始めた時、がさりと木々が揺れて猟師が姿を現した。

「遅いぞ、いったい――」

 待たされた苛立ちから非難しようとした声は途中で出なくなった。ふらふらとした足取りでこちらに向かってくる猟師の姿を、臣下は訝しんで目を凝らす。
 ゆらりと猟師がうつむいていた顔を上げ、臣下は息をのんだ。顏に飛び散った汚れもそうだが、口の端から垂れる赤いものに絶句する。見れば、猟師が押さえた腹部の服が黒く塗れており、手を赤く染めた液体がぼたぼたと滴っている。
 臣下は慄いて一歩後ずさった。遅れて、鉄さびのような臭いが鼻をつく。きついその臭いに噎せ返って吐き気がした。

「そ、その腹はどうしたのだ!」
「殺そうとした際に、白雪姫が抵抗して……護身用の短剣で……っ」

 額に汗をにじませながら、猟師は絶え絶えに言う。
 言われてようやく合点がいく。相手はのほほんとして、虫も殺せなさそうな可憐な白雪姫だ。まさか護身用の短剣を持っていたとは。
 猟師も同じで考えが及ばず、油断したのだろう。

「これを……」

 猟師は腹を押さえたのとは逆の手で、小箱を差し出した。力が入らないのか、ぶるぶると震えている。
 受け取って中を覗いた臣下はすぐに蓋を閉じた。

「約束の、心臓だ。……俺はっ、城まで持た、ない……」

 言っている傍から、猟師の腹からまた血が溢れて滴った。相当深く刺されたのか。
 臣下は手袋をした手で鼻先を押さえた。鼻の奥に血生臭さがこびりつくようだった。

「俺の、代わりに……」
「わ、わかった、確かに受け取った。お后様には私がお渡しする。しばし待て、今近くの村へ助けを……」

 馬に乗せた荷物の中に箱を仕舞おうと振り返った時、視界の隅でぐらりと猟師の体が傾いだ。言葉を途切れさせた臣下の目の前で、どさりと倒れ込む。

「お、おい……?」

 呼びかけても猟師はぴくりとも動かない。倒れた拍子にずれたフードを摘み上げ、臣下は声のない悲鳴を上げて慌てて猟師から離れた。
 誰もいない静かな草原で、臣下の不自然な喘ぎ声だけが響く。
 臣下は弾かれたように振り返ると箱を仕舞い、馬に跨って駆け出した。肉のついた丸顔に尋常ではない汗が流れる。

「わ、わたしは何も……何も……っ」

 臣下は後ろを見ることなく一目散に逃げて行った。
 地面に伏せたまま、その馬の蹄の音が遠退いていくのを聞き届ける。

「よっと……」

 起き上がった猟師は、顏や服についた草を手で払った。
 これであの臣下は勘違いしてお后に報告するだろう。白雪姫を殺した猟師は、白雪姫の反撃が致命傷で死んだ、と。
 実際は、臣下が持って帰った箱に入っているのはブタの心臓だ。端からお后を騙すつもりだったので、あらかじめブタの心臓と血を用意していたのだ。猟師の顏や腹部を汚しているのもそのブタの血だ。顏にはあたかも返り血のようにはねさせ、腹部は服の下に隠した袋から徐々に溢れさせていただけ。
 我ながら、なかなかの演技だったと思う。

「役者でもやっていけるかもな」

「鏡よ鏡、この国で一番美しいのは誰?」

〈 それはあなた様です、お后様 〉

 静かな部屋に響くしわがれた声に、お后は悦に浸った満面の笑みを浮かべた。
 これで再び国一番になった。
 魔法の鏡が白雪姫の名を上げた時は、それはそれは激しい嫉妬と怒りに苛まれたが、それももうない。民のみならず諸国からも可憐ともてはやされる憎き白雪姫は猟師によって殺された。その猟師も、口封じするまでもなく白雪姫の反撃が命取りとなって死んだ。手を煩わせる必要がなくなって好都合。
 王や他の者には、遠出に付き添った臣下から知らされるだろう。白雪姫は遠出した森で不運にも野犬に襲われ、護衛の猟師もろとも食い殺されたと。
 鏡はゆらゆらとお后を映し出す。満足げにそれを見つめるお后の背後、テーブルの上には箱がひとつ。その開いた蓋から、赤い滴がぽたりと落ちた。

4.にの誰より美しい

 どうやら猟師の作戦は上手くいったらしい。草木を踏みしめ、猟師が焦る様子もなく木々の間から顔を出した。失敗したならもっと慌てて、急いでいるだろう。
 よかったよかった。

 だが私を見つけた途端、猟師は動きを止めて、ぱちぱちと忙しなく瞬きした。

「……あの、白雪姫?」
「なに?」
「さっきと容貌がえらく違うが、この数分の間に何があったんだ?」

 まるで野犬にでも襲われたようだけど。

 猟師は私の髪を見て、服に視線を落とし、また顔へと戻した。
 私は居た堪れず、短くなったざんばらの毛先を弄りながら、自分の姿を見下した。裾がよれてほつれたスカートは膝の辺りが茶と緑で汚れている。膝と手が痛い。

「ちょっと、ね」

 猟師が臣下を騙しに行った後、私も原の近くまで戻ろうと試みた結果だ。
 自分でもびっくりなことに、私はかなり鈍臭いらしい。初めて気がついた。
 慣れないとはいえ数メートルごとに石や木の根に足を取られてすっ転ぶわ、体を支えようと木に手を突けば擦りむくわ、挙句髪の毛を枝に引っ掛けてしまい、動きが取れなくもなった。
 そして髪を解こうとすると、逆に絡まる始末。まさかこんな間抜けなことになるとは。

「それで、その傷は?」

 経緯を聞いた猟師はなんとも言えない顔をして、私が片手で押さえた頬を指さした。当てていた手を離すと、手を伝って落ちた血で袖口まで赤く染まっている。頬はひりひりと熱い。
 髪が絡まって動けなくなったため仕方なく、護身用にとハンスに持たされていた短剣で髪を切ることにしたのだ。すっぱり切れるかと思っていたのに、これがなかなか切れなくて、二度三度と苦戦するうちに手元がぶれて頬まで切ってしまった。結果、だらだらと頬から血が止まらない。
 髪は切れなかったくせに、こちらはすっぱりと切れたのがどうにも納得いかない。なぜだ。私が不器用なのか。

 ……思えば、城で私が持つ刃物といえば食事のナイフくらいだ。手紙ですらハンスが前もって封を切っていたため、ペーパーナイフすら握ったことがない。そしてお城の床や庭にはつまづくような凹凸もない。
 そうか、今まで気づかなかったのは周りの過保護のせいか。危ないからと幼い頃から走ることもなかった。つまり、私の運動神経は鍛えられるべき時に鍛えられなかったに違いない。
 そういえば怪我をしたのも初めてかもしれないと気づき、若干情けなくなった。

「……とりあえず止血しようか」

 国一番と賞される天使のお顔が軽いホラーですよ、と茶化しながら猟師は鞄から布を取り出した。

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2014. 2/17
◇Photo/ clef
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