お后が「魔法の鏡」なる姿見に夢中であることは、城の者なら皆が知っている。
 私を含めた皆は、その鏡はただ単に装飾が豪華で、少し細く映るとか肌が綺麗に見えるとかそんな程度のものだろうと思っている。映る姿が綺麗に見えるからその鏡がお気に入りなのだと。
 違った。
 大間違いだった。

2.れいがどうとか無関心

――鏡よ鏡、この国で一番美しいのは誰?

 別に知りたくて知ったわけではない。ちょうど、そう、たまたま通りかかっただけだった。
 薄く扉の開いた王妃の部屋を、ちらりと視界に移った明かりが気になって興味本位で覗いたのが間違いだった。
 真っ昼間だというのにカーテンを閉め切って闇に支配された部屋。その中で、ゆらゆらと揺れる何本もの蝋燭の火。夕暮れ時のテラスや星空の下でならそのささやかな光は儚げで幻想的に見えるのに、その時は不気味でしかなかった。
 大鏡の前で恍惚とした笑みを浮かべたお后は、儀式じみた仕草で腕を広げた。

「鏡よ鏡、この国で一番美しいのは誰?」

 呪文のような言葉を囁く声には喜悦が混じっていて、耳に滑り込んだそれに一気に鳥肌が立った。ぞっと背筋に悪寒が走り、寒気に襲われる。
 全身から冷や汗が噴き出す感覚を、初めて味わったと思う。

 ただ自分の姿に酔いしれるだけならまだ……まだ許容範囲内だ。
 なのに、なんだあれは。

「白雪姫、ひどいくまですよ。いったいどうなさったのです?」
「ああ、ちょっと昨日……眠れなくて……」

 今日は朝からこんなやり取りばかり。いつも通り庭に出て本日初めて顔を合わせた侍女も、眉をハの字にして私の身を案じてきた。

「悩み事のせいですか?」
「まあ、ね……」
「あまり心に溜め込まれるのはよくありません。人に話せば少しは楽になると聞きます」
「うん、ありがとう。気持ちは嬉しいよ」

 気遣ってくれる侍女には申し訳ないけれど、人に話してどうこうなることじゃない。

「はぁ……」

 穏やかな日差しすら目に染みて痛い。しばらく瞼を閉じて、テーブルに肘を突いた手で陰を作って俯いた。

――鏡よ鏡、この国で一番美しいのは誰?

 目を瞑ると甦る。思い出す。
 昨晩もそうだった。
 私は王妃の部屋で目にした光景、耳にした言葉を忘れようと努力した。でも、あんな強烈な光景をそう簡単に忘れられるわけがない。
 夜になり、ベッドに入って灯りを消して、瞼を閉じたら全部が甦ってきたのだ。眠れるわけがない。

――鏡よ鏡、この国で一番美しいのは誰?

 うわああああ、もう、勘弁してよ。
 なにあれ、なんなの? 魔法使いの真似? ていうかまんま魔法使い気取り?
 あの歳で? 私が十五歳だから、どれだけ少なく見積もってもあの人三十は越してるよ?
 夢見がちで済ますにはちょっと無理があるんじゃない?
 なのに……え、じゃあなんで鏡に喋りかけてたの、あの人。
 意味わかんない。
 どういうこと?
 私に聞こえない何かが聞こえてるの? 私に聞こえないだけであの鏡は話すの?
 それとも自分で声を変えて答えるの? 「それはもちろん、あなた様です、お后様」とか?
 やだ、なにそれ、怖い――。

 こうして考え出すと止まらなくなる。昨夜も気づけば雄鶏の声が聞こえていた。だから一睡もできていない。
 ずきずきとこめかみの奥が痛む気がして、行儀が悪いと知りつつもう片方の肘もテーブルに突いて、両手で押さえ込んだ。

「あー……」

 もう頭が痛いどころの話じゃない。お后の奇行を王はどう思っているのだろうか。というより、そもそもなんで父上はあの人と結婚したのだろう。
 見た目? そりゃ見た目は抜群に良いよ。間違いなく美女だよ。
 でもちょっとアイタタタな人じゃないか。
 私の実母だけれども。
 それにしたって……。あれはないわ。

 しかも、あの魔法の鏡とやら、大きさだけは立派なものの、その辺の空家にでもありそうなボロっちくて汚らしい鏡だった。大枚はたいて鏡を買ったと聞いた時には眩暈がしたが、あんな鏡だと知っていたら気絶していたかもしれない。
 どう考えても国民の血税を使うには値しないような代物。国民に申し訳なくて仕方がない。
 実の親だとしても、あのお后はいないほうが国のためになるのではなかろうかと本気で思い始めている私がいる。

「ていうか、なんでああも執着できるんだろう……」

 自分の美に。
 そりゃ、空とか花とか、自然の美を愛するなら私にも理解できるし、それは素晴らしいことだと思う。でも自分自身にあれほど魅了されるものだろうか。

 もう一度溜め息をついたところで、侍女がお茶を運んできた。

「お疲れのようですから、本日は気分が休まるように、白雪姫のお好きなアップルティーにいたしました」
「ありがとう」
「本日のケーキはラズベリーとクランベリーのタルトでございます」

 香ばしくてサクサクのタルト生地。バニラの香りが優しい滑らかなカスタードクリーム。散りばめられた甘酸っぱいベリー。ケーキのお供にはさっぱりしたアップルティー。
 ああ、癒される……。

 ぱくぱくとフォークを運んでいると、ハンスがやってきた。今日は早い。

「白雪姫!」
「ハンス、今日は早いね」
「ええ、昨日の時間を参考に……」

 言葉が途切れたことを不思議に思って、ケーキに落としていた視線をハンスへ向けた。

「白雪姫? そのくまはどうされたのです?」

 ああ、やっぱり。
 私はなんでもないように肩を竦めて、もう一口ケーキを頬張った。甘みを存分に堪能し、飲みこむのを、ハンスはじっと黙ったまま待っている。

「ちょっと、眠れなくて」

 たいしたことじゃないよ、というとハンスはそれ以上何も言わなかった。
 代わりに今日も説教が始まる。もう耳にタコ。

「あまりお菓子を食べすぎると太りますよ。あなたは運動もあまりなさらないのですから余計にその可能性が大きいのです」
「べつに太ったくらい……」
「肌だって荒れるのですよ? せっかくの綺麗な肌が! 夜更かしもよくありません!」
「だから?」
「だからって……!」

 くわりと目を見開いたハンスは、自分がどれほど面白おかしく怖い顔をしているのか気づいていないだろう。見つめるとじわじわと恐怖と笑いが込み上げる顔から、ひらひらと視界に端に映った蝶へと視線を逸らす。

 太る? 肌荒れ? そんなもの気にしない。
 だいたい、夜更かしに関しては私も好きで眠れなくなったわけではない。
 にきびが痛いのは嫌だけれど……肌が汚いのも、誰に迷惑をかけるわけでもないし。見苦しいって言うなら見なきゃいい。

「いけません! 結婚の時に困るのはあなたですよ!」
「じゃあ結婚しなけりゃいいよ。もしくは太っていても醜くてもいいと言う人を探せばいい」
「本気で仰っているのですか!?」

 ハンスが必死の形相で詰め寄るのを、体を横に倒して避けた。

「黒檀の髪、雪の肌、バラの唇! 声は小鳥の囀るよう、佇む様は花のよう、微笑む様は天使のよう! 可憐な姫君と諸国に名高く、国の者も誇らしく思っておりますのに!」
「私の容姿を私がどう思おうと勝手じゃない?」
「今に妃殿下に似てお美しくなられると皆が期待しておりますのに!」
「私は期待してない」
「なによりわたくしが、ぶくぶく醜い豚のようになった白雪姫の姿など見たくありません!!」
「君の願望なんて知らないよ……」

 こうして嘆くハンスは、正直ちょっと鬱陶しい。私のためを想って言ってくれているというのは理解できるが、共感するかと言われれば答えはNO。
 私は、お后とは違って自分の容姿にはさほど頓着していない。容姿が良くてもどうせ数年の後には老いてしまうのだ。そんなことよりも甘いもの。これは私が年をとっても変わらない。
 大好きなケーキか己の美しさかと問われれば、迷うことなくケーキを選ぶ。
 たぶん、お后なら逆を選ぶだろう。美しさのためというならケーキのみならずありとあらゆる犠牲を払うに違いない。
 ふと何気なく思ったその予想が見事に的中していることが、この数日後、予想以上の衝撃を伴って判明する。

******

2014. 2/17
◇Photo/ clef
HOME > NOVEL