「フェリシアちゃん、聞いたかい?」

 お祭りの前日、セリオ王子が婚約したとの知らせで国中が賑わった。

「セリオ王子の婚約者、明日のお祭りには一緒に参加されるそうよ」
「お披露目もかねて、でしょう? どんな方かしら?」
「なんでも隣の国のお姫様だって」

5.シンデレラにはなれない

 お祭り初日。祝いの日だというのに、ついに我慢の限界を超えた。
 自分の身の上にも。横柄な奥方と娘たちにも。使用人頭の暴力にも。理不尽な文句にも。嫌がらせにも。何もかも。
 理由は、捨てようと抱えていた袋を後ろから足蹴にされたこと。
 袋の中には暖炉や厨房などで掻いた屋敷中の灰が詰まっていた。重たいそれを担いで前屈みだった私はもちろん倒れ込むわけで、頭から灰まみれ。
 しかも現場は掃除し終えたばかりの玄関ホール脇。ど真ん中じゃなかっただけまし。けれど苛立たせるには十分。

 咳き込んで苦しい思いをしている最中に、上から振ってくるのは罵声と叱責と嘲り。
 なみなみと水を注いだバケツに石をひとつ放り込む。まさにそんな感じだった。
 ぼちゃん。
 水は跳ねて溢れて零れてしまう。たとえ小さな小石だったとしても。

 後先など考えず、私はあのババアに渾身の力を込めて平手をくれてやった。ついでに足をかけて汚れた床と灰袋に転がしてやる。
 何を言ったかは覚えていないが、罵りをいくつかぶつけてやって、屋敷を飛び出した。
 怒鳴る大嫌いな声も、引き留めようとする馴染の声も振り切って走った。

「あーあ……」

 後悔したのは町が近づいてきた頃だ。沸騰しそうだった頭の血も下がって、冷静さを取り戻しつつある。
 汚れたままの恰好、屋敷を飛び出した後のこと、なんにも考えていなかった。
 行く当てなんてないし、頼れる相手も――……いや、一人だけ、いるにはいる。
 頼るべきかは、悩むところだが。

 いつもの道ではなく、私はできるだけ人通りの少ない場所から町へ入った。恰好が恰好だけに道行く人に好奇の目で見られる。これでも町へ入る前に手で汚れをはたいてみたりはしたのだ。あんまり効果がなかった。

 裏道を通りながら町中を進むうち、賑やかな音楽が聞こえてきた。
 どうやらパレードでもしているようだ。楽しそうな歓声の中でも一際沸き立つ声が近づいてくる。
 姿にしても今後のことにしても一度諦めてしまえば余裕ができて、どうせならと歓声の方へ足を向けた。ちょっとした好奇心だ。現実逃避ともいう。

 通りの陰、人ごみの後ろから首を伸ばしてみると、その正体が丁度目の前を横切っていくところだった。

「うそ……」

 彼だ。リンゴを拾ってくれた、あの青年。
 王族の礼服は形が決まっているので一目でわかる。あの馬車も王族のものだ。証拠に傍にたなびく王家の旗と国旗が見える。
 隣には綺麗に着飾った、可憐なお姫様。
 手を取り合って二人で並ぶ姿は、「とてもお似合い」の一言に尽きる。二人で顔を見合わせて微笑む様子は幸せそのもの。政略結婚と噂も流れたそうだが、あの様子ではきっとお互いを大切に思っている。

 信じてなんかいなかったけれど、まさか……まさか本当に、彼は……。
 そうだとしたら、私は……。

 その場を離れながら、思わず乾いた笑いがこみ上げた。

 ああ、バカじゃないの、私ったら。
 相手は一国の王子? 冗談でしょ。
 おとぎ話じゃないんだから。

 唯一の当てが消えてしまった。今日から家無し、職無しの路上生活だ。
 それでも待ち合わせ場所に行こうとするのは、私がどうしようもなく諦めが悪くて、最後の期待を捨てきれなかったから。
 わざわざ最後の望みさえも打ち砕きに行くなんて、自虐趣味もあったもんじゃない。
 諦めが悪いのは、今後の生活もかかっているから、と言い訳しておこう。

 どうせ、いないに決まって……。

「リンゴちゃん?」

 にこりと、変わらない笑顔を携えて。変わらない姿の彼がそこにいた。ひとつ違うとすれば、祝い事にふさわしく少し格式ばったおしゃれな服装であること。

「来てくれたんだね」
「え……?」
「よかった。来ないかと思ったよ」
「いえ……」
「その恰好どうしたの?」
「すみません、いろいろあって……」
「……いったん僕の家においで。綺麗にしてあげる」

 私の中では思考が完全に混乱していた。状況の把握に頭が追いつかず、挙動も怪しく信じられない気持ちで彼を見る。思えば、やって来たかと思えば全身灰まみれで、まともに話すこともできない私は、それは滑稽だっただろう。
 彼は垂れていた私の前髪を指で掬い、耳にかけた。

「ほら、ほっぺに煤までつけてちゃ笑われるよ」

 くすくすと指摘され、ぐいと袖で頬を拭う。袖口すら汚れているのでわかりやしないと後で気づく。
 手を引いて歩き出そうとした彼に逆らい、私はその場に踏ん張る。彼は振り返って、どうしたの、と心底不思議そうに首を傾げた。

「わ、わからないわ……だって、あなた……」
「なにか、混乱してるみたいだね。でも、まずはついてきて。あとで質問にはちゃんと答えてあげるよ」

 連れて行かれたのは大きなお屋敷。私の家よりもっと大きくて立派だ。
 屋敷に入るなり、彼の合図で召使いが二人やってきて、問答無用で風呂に入れられた。
 汚れたボロ服は没収され(たぶん洗ってくれるのだろう)、落ちぶれる前のように綺麗なドレスに身を包む。髪まで櫛を通して結い上げてもらった。
 案内された先で待っていた彼は、満足そうに笑って私に椅子を促した。お茶を出されても、私は落ち着くことができず、答えを急いた。

「あなた、いったい……セリオ王子じゃない、のですか?」
「……僕がいつ、王子だなんて言ったの?」
「え? だって、」

 ――君が名乗らないなら僕だって名乗らないよ。

「……あれ、……そういえば言ってない……?」

 王子様だと言ったのは、おばさんたち。私は身なりから貴族だと思っていた。
 彼との会話といえば、本当に他愛もない話ばかり。名前はもちろん、家族や職業、年齢さえ、彼についての情報を直接、彼の口から聞いた覚えはない。すべて、憶測と予想のものだ。
 彼はおかしそうに、けれど少し困ったように眉を下げて笑う。

「僕は王子じゃないよ。……がっかりした?」
「いいえ、してない、です。けど……じゃあ、あなたは? 私、パレードでセリオ王子のお姿を見て、あなたにそっくりで……」
「そうだよ。見てのとおり、僕は王子のそっくりさん」

 王子とは友人だけれど、本人ではない。
 彼の言葉はすとんと胸に落ちて、私の不安を溶かしていった。緊張が解けてソファに沈み込んだ私に、彼は目元を緩めてお茶を手渡した。

「謎は解けた? なら、今度は僕の番」

 私がカップを口にしたのを見届けてから、彼はテーブルに伏せていた写真立てを取り、私に差し出した。
 どこかのパーティの様子だった。男女のカップルが二組並び、それぞれのカップルの間には小さな子供が一人ずつ。
 片方は男の子、もう片方は女の子。

「リンゴちゃん。この写真は君かな?」

 彼が指差したのは、髪にリボンをつけた女の子。

「あ……」
「やっぱり」

 カップルの片方は、間違いなく私の両親だ。もう家には写真も肖像画もないので、久々に二人の顔を見た。両親の間にいるのは他でもない私だろう。
 もう片方のカップルは、おそらく彼のご両親だ。幼い男の子には彼の面影がある。
 そうか、彼の記憶は正しかった。私たちは会ったことがあったんだ。十年は経つだろうか。記憶も曖昧になる幼い時のことなのに、覚えていてくれたのだ。

「改めて、自己紹介しないとね。僕はアルセニオ」
「私は、フェリシアです」
「フェリシアちゃん。君のことが好きになった。君さえよければ、僕とまた婚約してくれないかい?」

 …………また

「こっちの色の方が似合うと思うよ」
「えー、そんなエビ色?」
「ひどいな、そっちだってワカメ色じゃないか」
「瞳の色に合うってお義母さまが仰ったのよ」
「これだって髪の色に映えるよ」

 やいやいと言い合う私たちを見て、手伝ってくれている使用人の女の子たちがくすくすと笑っていた。

 あれからアルセニオの行動は早かった。私を連れてロルトノースの屋敷へ赴き、至極丁寧な口調と小難しい言い回しで、要約すると「この子を気に入ったからください」との旨を奥方に申し出た。あの時の奥方や娘たち、使用人頭たちの唖然とした顔は未だに忘れられない。
 アルセニオは私を家の娘ではなく使用人として、奥方と交渉を始めた。もちろん事情はすべて話してある。けれど何も知らない体を装う姿は実に自然で、私は思わず笑ってしまいそうだった。

 奥方が渋ってなかなか話が進まなくなると、彼は金貨の入った袋を差し出して、代わりに私の雇用契約書を求めた。しかし、そんなものあるはずがない。サインなんてした覚えもない。
 不法労働、になるのだろうか。ともあれ困るのは奥方で、彼女は渋々アルセニオの要求を飲んだ。

 晴れて自由の身となった私は、そのままアルセニオのお屋敷でお世話になることに。
 突然のことで彼のご両親はもちろん驚かれたけれど、快く受け入れてくださった。昔、母とは懇意にしていたそうだから、尚のこと親身になってくれたのだ。
 そして、理由がもう一つ。アルセニオが、幼い頃に私と婚約していたという「町の貴族のお坊ちゃま」だと知ったのは、後になってから。

「いつか、あのお屋敷も取り戻そうか」

 アルセニオが鏡の前に立つ私の後ろにやってきて、肩に手を添えた。鏡越しに目が合う。

「郊外だから、町の中より静かに暮らせるだろう? 子供を育てるのに良いと思うんだ」
「気が早いわね。結婚式すらまだなのに」

 失った物を取り戻せるなら、なによりだ。全部とはいかないまでも、お屋敷と、古参の使用人たちの一部くらいはまだ可能性がある。
 かつてのように温かな雰囲気の屋敷で、家族と穏やかに過ごす。とても素敵なことだ。想像しただけでも胸が満たされる。
 貴族の結婚は、家柄と資産があってこそ。血統だけ残して転落した私が、こうして彼と再び婚約できただけでも十分に幸せなのだけれど。

「アルセニオ」
「なに?」
「あの時、あなたと出会えてよかったわ」
「僕もそう思うよ」

 微笑む目にどこか含みがあると思ったら、案の定、彼は脇に置いてあったドレスを私に宛がった。

「……だから、あの時のリンゴにちなんで、赤が良いと思うんだけど」
「あら、違うわ。あの時のリンゴはまだ緑だったもの」
「そんなはずはないよ。半分は赤かった」
「どうしても赤を着せたいのね。いいわ、納得いくまでゆっくり話しましょう」

 さて、お屋敷だとか云々は一先ず横へ置いておいて。
 目下私たちが検討すべきは、披露宴で私が着るドレスの色だ。深紅か深緑かで決着をつけないと。
 この分でいくと私が負けそうだと予感した。

end
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2014. 7/7
◇Photo(元画像)/ clef
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