「フェリシア! ぐずぐずすんじゃないよ! さっさと買い出し行ってきな!」
バタンと鼻先で勢いよく閉められた裏口の戸を睨みつけ、思わず舌を鳴らした。
ガラが悪い? どうせ舌打ちなんて誰も聞いていない。早朝4時前ならなおさら、道にも人気はない。
このまま突っ立っていても仕方がないので足元に放り投げられた籠を拾い、三十分かけて徒歩で町へ行く。朝もやで視界が霞む中、ただひたすら地道を進む。これが早朝の私の日課だ。
「卵16個、牛乳2瓶、チーズを200グラムください」
「まいど」
城下町の市場はいつもどおり人で賑わっている。
私と同じように毎朝やってくる牧場のおじさんは顔馴染み。ここの牛乳もチーズもおいしいわりにそんなに高くない。私が持って来た空瓶に牛乳を入れてもらう間、隣に屋台を開く肉屋のおばさんと談笑する。
「うちのドラ息子はほんっとモテなくてさぁ」
最近の話題はもっぱら来月に迫る収穫祭のこと。王様も参加する国の一大イベントだ。何日もかけて行われるパレード、演劇、ダンスの催し物。お祭りのご馳走を目の前に、今年できたブドウ酒を片手に、飲めや歌え、食えや踊れのどんちゃん騒ぎが許される。
「フェリシアちゃんは、もう相手が決まってるのかい?」
「私はお祭りの日も仕事ですよ」
年頃の若い男女はカップルで参加するのが伝統。どうせ私には関係ない。お休みなんてくれるはずがないのだ。
重たくなった瓶を籠の中に並べ、お金を支払う間に、おばさんのところにもお客が来た。微笑みを返して、おばさんとおじさんに別れを告げる。
ああ、そうだ。今日はあとパン屋にも行かないといけないんだった。
「ただいま戻りました」
「遅い!!」
戻ってすぐ飛んで来たのは罵声と平手打ちだった。頬に広がる熱に歯を食いしばるうちに、手から食材の入った籠をひったくられる。
「いつまでそこに立ってるつもりだい、さっさと洗濯しにいきな!」
「……はい」
他の使用人がちらりとこちらを盗み見る。中には気遣わしげな視線もあったが、同情されたところで痛みが消えるわけでもない。
ああ、まったく。パン屋でブドウパンをおまけして貰った嬉しさなど吹き飛んだ。
「あの……」
「大丈夫よ」
「でも……」
「仕事に戻りなさい。今度はあなたが殴られるわよ」
そっと濡れ布巾を片手に寄ってきたのは、私より少し年上の男の子。何年も前から、それこそ彼が少年の頃からここで働く下働きの一人だ。
邪険にするのは忍びないけれど、ここでぐずぐず留まっていたら、またあのババアが戻ってくる。そうしたら今度は彼も一緒に叱られるだろう。
「あなたが一々そんなことしなくていいわ」
渋る彼の腕を強引に押しのけて、私は洗濯場へ向かった。
心配してくれて嬉しい。優しくしてくれるのはありがたい。
でもそれは余計なことだ。
この屋敷に住むのは奥方と年頃になった二人の愛娘。旦那様はとうに死んでしまっていない。
女所帯で男の目がないとなると散らかり放題だ。買い出しから帰ってきた後は、三人の部屋から籠一杯の洗濯物を引き取り、ドレスやスカーフ、下着類、タオルやシーツと分別して、もくもくと洗濯をする。水が冷たいとか、荒れた手に洗剤が痛いとか、そんな文句は言ってられない。それほど大量にある。
どうして毎日毎日、これだけ大量の汚れ物が出るのか甚だ疑問である。特に娘たちは日に二回は服を替える。それならいっそ下着で過ごせばいいのに。
洗濯を終えるのはだいたい9時頃。すべてを干し終わったら、掃除用具を持って屋敷の掃除に取り掛かる。
まずは奥方の部屋を掃除して、娘たちの部屋を掃除して、それから廊下と階段だ。
掃除の途中で、娘たちにしょうもない用事(お茶を持ってこいだとか、繕い物をしろだとか)で呼び出されること8回。今日は少ない方だろうか。ひどい時は二桁に達する。おかげで午前中に終わらせたい掃除はいつも終わらせることができない。
1時頃に奥方と娘たちの昼食の後片づけをして、玄関ホールの大理石の床磨きをし、それが終わる2時半に束の間の休憩。軽食にパンを食べ、水を飲み、また仕事を再開する。
午後3時、奥方と娘たちのティータイム。後片づけはやっぱり私の役目。
ナプキンはいいとして、ジャムを零して汚れたテーブルクロスをまた洗うことになった。食べ方が汚いからこうなるのだ。ジャムひとつまともに塗れないなんて小さな子供と一緒。
午後4時。朝に干した洗濯物を取り込んで、それぞれ丁寧にアイロンがけ。畳んだものを持ち主の部屋に届け、ついでとばかりに雑用を言いつかり、仕事が遅れて、また使用人頭の中年ババアに叩かれる。アイツは口も悪ければ手癖も悪い。
午後7時。奥方と娘たちが夕食を取る間に、私は各部屋のお風呂の用意をすませ、彼女らがお風呂に入る間に夕食の後片づけ。それが終わったらお風呂の後片づけをし、使った暖炉の灰をかき、ごみを出して、一日の仕事は終了。これがだいたい夜9時頃。
仕事の後は、残り物と身になりそうにない野菜ばかりの貧相な夕食を食べ、使用人用のお風呂に入り、ようやく自分の部屋に戻ることが許される。就寝はだいたい11時過ぎ。
明日の朝は鶏が鳴く頃にまた叩き起こされて、町へと買い出しに行くのだ。
そうして日々を繰り返すのが私に与えられた運命である。
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2014. 5/26