「お願いよ〜、あともう少しだから……」
  とある一室にて、青白い光を顔に受け、にへりと笑う女がいた。 微妙にずれたメガネ越しにディスプレイを見る目は据わっていて、なぜかパソコンに向かって語りかけながら独り笑いする様子は、近づきがたいものがある。
  もし夜の真っ暗な中で不運にも見かけたなら、数日は夢見が悪くなりそうで……できればかかわりたくない、と思うのは普通だろう。 けれど、周りの同僚たちは女の傍を通る時、笑い声が聞こえても、少々を身を引くだけであまり驚くことはない。 ――もうみんな慣れているのだ。
  キリ・ルッシ。 24歳。 女。 職業、国家所属の科学研究員。
  どこかしら変わっている者が多い科学者の中でも、若手の(変人)トップ競争で上位を爆走する変わり者だった。
  コンピュータのプログラミングに長け、機械工学専門の第五研究所に真っ先に配属が決まったが、その腕云々ではなく、その風変わりな個性で、同期の研究員の中ではかなり有名だった。
 「も少し……も少し……。 フリーズしない(死なない)でね、マイ・ラヴァー」
  キリはカタカタとピアニストもびっくりな指の回しっぷりで、かじりついたキーボードを叩く。
  一般家庭には決してないような大仰な機器をたくさん繋げたパソコンの本体には、紙が一枚、セロテープという適当さ丸出しで貼り付けられている。 その辺のプリンタのコピー用紙だ。 『エルウィン2号』 の文字と一緒に少しひしゃげたハートが手書きされているそれは、間違いなくキリの寵愛を受けている証である。 あからさまに即席なのが見て取れる。 が、あえて誰もそのことには触れない。
 「エルウィン、愛してるから。 すっごく愛してるから、も少し頑張っ――」
  キリの愛の言葉もむなしく、突然ディスプレイがブラックアウトした。
  目を見開き、一瞬同じようにフリーズしたキリ。
  今プログラミング中で、もうすぐ終わるところで、今日はまだ保存なんてしてなくて――。
  その一瞬でそれだけ頭を駆け巡り、理解するまでコンマ6秒。
 「ギャアアァァッ!!」
  声の限りに叫んで勢いよく立ち上がった途端、ガンッとデスクに膝を打ち、そこを押さえて悶えながらその場で四分の一回転。
  その時、目の端でパッと画面が戻った。
 「あ」
  膝蹴りの衝撃だろうか。
  コマ付き椅子はカラカラと後ろへいってしまい、戻すのもメンドウなのでもう放置。 キリは立ったままデスクに手をついて、 「ラッキー」 とまたマウスを握った時。 耳慣れた怒鳴り声が飛んできた。
 「やかましい! いきなり叫ぶなバカタレ!!」
  スピーカーを通した声は、マイクが拾える許容を超えたのかほぼ雑音。 それでも聞き取れたのは声が直に届いたからだ。
  パソコンのディスプレイの左にある別モニターが男の顔を映していた。 研究員の一人だ。 目の前にある柵と防護ガラスの向こう、一階下で実験機器の組み換えをしていたはずだ。
 「ルッシ! プログラムは組めたのか!? また消したんじゃないだろうな?!」
 「(未遂だけど)大丈夫です。 もうあと少しです。 班長のほうはどうですか?」
  話を振ったら、モニターの男は眉を吊り上げた。
 「どうですか、だァ?」
  ちなみに、彼はキリが所属する班の班長だ。 キリより四歳年上の先輩。 なのに、 『国家科学研究院・第五研究所の副所長』 という肩書きを持つ、けっこうエライ上司。
  あ、ついでにこの第三ラボの責任者。
 「お前がでかい声を出すおかげで機内にネジが落ちたわ!」
  キーンとマイクが音を立てる。 そんな怒鳴らなくても。 キリはわずらわしく眉を寄せた。
 「そんなの取ればいいじゃないですか。 落とした班長が悪いと思います!」
 「磁力でくっついて取れるかボケェ!」
  あーあ、それはそれは、ご愁傷様です。 でも、ボケって……!
 「そんな怒鳴らなくてもいいじゃないですかっ」
  キリは怒鳴り返して、ダンッ、とデスクを叩いた。 ――――叩いたつもりだったが、ダンッという音はせず、代わりにガシャッという音がした。 ちょうど、キーボードを一気に押したような……。
  パッと手を見 (開いた手はキーボードの上)、それからパソコンの画面を見 (謎の文字の羅列。 しかも一部はひび割れたみたいにブレている)、キリはサッと青くなった。 そして、キリの顔とは逆に、彼女の眼鏡に真っ赤に映る―― “ERROR(エラー)” の文字。
 「うわっ」
  慌ててマウスを動かしたが画面上のカーソルは動かない。 何度かカチカチとクリックしていると “ERROR” が一度消え、間髪入れずに “システム・ブロック作動。 シャットダウンします。” が現れる。 そして三十秒のカウントダウンが始まった。
 「どうした?」 と訊く上司の声もスルーで、焦ったキリはわたわたとキーボードに解除コードを打ち込む。 うろたえながらも長いコードを間違えることなく打ち込んで Enterキーを押すが、効果はない。
 「って、なんでぇっ!?」
  解除コードの意味は?! 存在理由は?!
  そうする間に、カウントダウンが残り三秒。 呆然とそれを見つめたまま、キリはまたフリーズした。
  3――…… 2――…… 1――……
  プツンと画面がブラックアウトすると同時に、室内すべてがヴゥンと音を立てて暗転した。 続いて数々の大絶叫。 ラボ内は一瞬にして阿鼻叫喚の巷と化した。

  上司アーウィン・グレゴー氏は、第五研究所の副所長。 研究所内には班ごとの執務室 (グレゴー氏は一班)の他、個人の執務室を持っていた。 あまり広くはないが、デスクと本棚、あと長椅子がひとつ置いてある。 一人で使うには十分な広さだった。
  その個人執務室にキリは招かれていた。
  ノックをし、「失礼します」 と恐る恐る入室すると、「とりあえず座れ」 と言われ、キリは長椅子の真ん中に腰掛けた。
  両手はピタリとくっつけた膝を掴み、肘から背筋からピンと伸ばして九十度になるようにした。 まるで研究員になるため面接に来た時のようだ。 うん、そっくり。 思い出す。 あの時も緊張していたけれど、恐怖はなかった。 面接官たちは――中には仏頂面もいたが――今の上司のように怒髪天を衝いてはいなかった。 ……要は、グレゴー氏は今とんでもなく怒っている。
  キリの前でデスクから引っ張ってきた椅子に座り、腕を組んだ上司は一度目を閉じた。 そして、重く溜め息をひとつ。
 「ルッシ。 お前、ここで何年目だ?」
 「まだ五年です。 ハイ」
 「もう、五年だ。 新人ならまだしもメインコンピュータの電源を落とすやつがあるか! それも実験機器を作動させてるときに! 連動させてた他のコンピュータのデータも全部吹き飛んだわ! バックアップ取ってあるからまだよかったものの、今日一日分の苦労が水の泡だぞ!? 全部!!」
  グレゴー氏がくわっと目を見開き、怒涛の勢いで説教は始まった。
 「だいたい、お前、キーボードの存在忘れてデスクを叩くか!? コンピュータをなんだと思ってる!? 立派な精密機器だぞ!! 常日頃からお前は緊張感がなさすぎる! プログラミングの腕を買ってメインを任せているのに、これじゃ本末転倒だ!」
  ガミガミと怒鳴る上司に、縮こまっていたキリは遠慮がちに右手を挙手した。
 「なんだっ」
 「でも、元はといえば、グレゴー班長が怒鳴らなかったら……」
  一度険がなくなったかと思ったのも束の間、カッとグレゴー氏が再び開眼した。
 「そうだ思い出した。 お前が大声出すから! ネジ!」
  後悔がキリを襲った。 言わなきゃよかった……! 忘れてたのか!
  でもこれしきで負けない。 負けてなるものか。
 「さらに元を正せばですよ? エルウィンが消えるんですもん!」
 「もん、じゃない! なんで消えるんだ!」
  ぐっ、とキリはの言葉が詰まる。
 「は、ハードのメモリ容量が、チョット……」
  視線を横にずらした途端、がいん、とグレゴー氏の鉄拳がキリの脳天を直撃。 痛みと熱を持ったそこを両手で押さえ、キリは目にうっすら涙を溜めた。
  ま、マジで痛かった。 いや、現在進行形で痛い。
 「やっぱり元凶はお前じゃないか!!」
 「違います! なに聞いてたんですか!? エルウィンが悪いんです!」
 「お前、それが上司に対する口か! なんでメモリの容量がなくなる? お前がいらんプログラムを次から次へと取り込むからだろうが! メインのハードがどんだけ大容量だと思ってる!? ええ?! 勝手にゲームなんかも作りやがって、なァにが 『ドキドキ☆科学ロマン』 だっ。 なにがネオロマだ、なにが逆ハーだ、なにがオトゲーだ!」
 「ギャーッ!!! 見たんですか?! 班長の変態っ!!」
 「やかましい! 班の人間を勝手に出演させてゲーム作ってる奴に言われたくないわ! しかも18禁! 今すぐ消せ! 犯罪もいいとこだぞ!」
 「え〜ッ!! あれ完成させるのに十日間ぶっ続けだったんですよ!?」
  アニメ作るのどれだけしんどかったか! と踏ん反りかえると、またしても頭をはたかれた。
 「仕事がはかどらんと思ったら……! お前、仕事ナメるのも大概にしとけよ」
 「個人で楽しむためですよ。 誰にも見せてないし、ネット販売とかしてませんから」
 「当たり前だ、アホウ!」
 「ぁだっ! 班長、DVはやめてください! この天才の頭のネジがぶっ飛んだらどうしてくれるんですか!」
  これだけ殴られてたら頭悪くなりそうだし、毛根が死んでハゲそう。
 「お前、マジで余分なネジ外してマトモにしてやるよ」
  一度そこで言い合いは収束し、グレゴー班長は重っ苦しい溜め息。 キリは頭を押さえて涙を引っ込ませながら、データ消去の踏ん切りがつかずに唸った。
 「だって、せっかく組んだのに……。 時間かかったのに……」
 「…………わかった。 消さなくていい」
  目を閉じて苦渋の顔で言ったグレゴー氏に、ぱっとキリの顔に朱が差す。
 「ほんとですか!?」
 「自分のパーソナルに送れ」
  その一言で気分は一気に急降下。 キリは不満丸出しで口を尖らせた。
 「えぇええー、無理です。 もう入りません」
 「そっちもか……っ! ――そうでなかったら、CD-RなりUSBなりにおとせ!」
 「もーいいじゃないですか! あたしはエルウィン(2号)をこんなに愛してるのに!」
 「あれはラボのメインコンピュータであってお前の私物じゃない! いい加減にしろ!」
  本気でまた怒り始めたグレゴー氏に、キリはうつむいた。
 「…………わかりました」
  ぽつりと呟いたキリにグレゴー氏はやっと諦めたか、と安心すると同時に、少し疑問を持った。 キリが素直に諦めるわけがないのではないか、と。 そして、案の定。
 「じゃあ班長。 副所長権限であたしにもう一台パーソナル買ってください!」
  頭を上げたキリは悪びれも遠慮もせずにそう高々と言ってのけた。
  グレゴー氏は痛むこめかみを無視した。 もうさっきからずっと痛い。 そして怒鳴る。
 「アホかぁああっ! よくもまあ、ぬけぬけとそんなことが言えたなオイ!」
 「そこがあたしの魅力です! お願いですよ。 そうしたらまた班長の名前をつけて一杯可愛がりますから」
  キリは両手を合わせて首を傾げ、お願いのポーズをした。 逆にグレゴー氏の口元はひくりと引きつった。
 「俺の名前はアーウィンだ! エルウィンと名乗った覚えはない! お前、いつになったら上司のフルネームを覚えるんだ?!」
 「わかってますよ。 だから、さっきナレーションの時 『アーウィン・グレゴー氏』 って言いましたもん! ていうか、そのくらい部下への愛で乗り切ってください」
 「意味がわからん」
  グレゴー氏はいろいろと痛い部下に哀れみの視線を向けた。 もうすでに話が噛み合わない上、いちいちツッコむのも疲れたらしい。
  キリも小さく溜め息をついた。
  このままでは埒が明かない。 永遠に不毛な争いだ。 もしくは一方的に処分を決められて終わる。 “始末書 (という名の反省文)” を書くことになるのだ。 それだけはどうしても避けたいキリであった。
  かくなる上は、あの手しかない。 ――キリは心の中でぐっと拳を握り締めて決意した。
 「グレゴー班長……」
  キリは上目遣いに上司を見上げた。 うるうると瞳を涙で濡らし、頬を染めて、一度きゅっと口元を引き締める。
  グレゴー氏はたじろいだ。 あまりの急変ぶりに警戒してのことだったのだが、キリは効果があったものと解釈。
  結局、グレゴー班長も男ですからね! 色仕掛けだとか、こーゆーか弱そうなのには弱いはず!
 「あたし……っ、隠してたんですけど、実は……」
  グレゴー氏は何がくるのかと身構える。
 「実は、班長のことずっと好きだったんです……!」
  軽く握った手を口に当てながら、いじらしく顔を背けると、なんとなく班長が動揺する気配がするようなしないような……。
  キリの思うとおり、グレゴー氏は確かに動揺していた。 してはいたが、少々意味が違う。
 (今更それを言うか……?!)
  はっきり言って、パーソナルに (発音が違うとはいえ)名前をつけているし、それを愛しているだの何だの言っている時点で、もう告白されているようなもので。 今更すぎる。 さして驚きはしないのだ。
 (まさか気づいてないとでも思っていたのか……?)
  それはそれで、 「ああ、やっぱりな」 と納得できるのだが。 どう対処しようかと悩むグレゴー氏。
  しかし、そうとは微塵も考えないキリ。
 「だから……」 キリは、(キリ的に)色っぽく、ちらりと流し目に見る。 「……始末書カンベンしてください!」
  体育会系よろしく、ガバッと下がった頭を見下ろし、グレゴー氏は最後の最後でツメの甘い部下に呆れて、ふっと鼻で笑った。
 「よし、わかった。 一枚にしてやろうと思っていたが……」
  キリの瞳が、顔が、嬉しさでパァッと輝く。 顔に出やすいのはわかるが、こうまでくるともう笑える。 それでもグレゴー氏は平然とした顔を保った。
 「五枚書け。 明日までだ」
  キリの夢を粉々に打ち砕いたグレゴー氏は椅子から立ち上がると、白衣のポケットに両手をつっこんで部屋を出て行く。
 「――ちょ、うそ! 待ってください!」
  意識を取り戻したキリもガタリと長椅子を鳴らして立ち上がり、その背を追った。 自動ロックの扉が背後で閉まる。
 「班長! ひどいです!」
 「色目を使うお前がひどいわ」
  横に並んで叫ぶキリに淡々と返しながら、グレゴー氏はずんずん廊下を進む。 すれ違った研究員が不思議そうにそのやり取りを見た。
 「ねえ、お願いです! 副所長! グレゴー班長!」
  必死なキリを聞き流し、グレゴー氏はやってきた班員に軽く指示まで出している。
 「無視は嫌です! ねえ、グレゴー班長! アーウィン先輩!! かわいいキリのお願い聞いて!!」
 (よく自分でそんなことが言えるな……)
  グレゴー氏はふとキリの方を向き、優しく爽やかな笑顔になった。
 「キリ、諦めろ」
  そして、またスタスタと先を行く。 上司の珍しい顔にポーッと惚けていたキリは、ハッと我に返った。
 「…………ちょ、先輩! 今のも一回!」
 「うるさい! 早く仕事しろルッシ!」
  はしゃぎ声と怒鳴り声は第三ラボに吸い込まれていった。

そのモノ、気まぐれにつき ※取り扱い要注意※

 (ユーザーが予測不可能・不規則変化の気まぐれ者なら、パソコンも影響されるのか?)

 そんなグレゴー氏のささやかな疑問を知ってか知らずか、その後キリがまた電源を落とすという二の舞を演じるのは、また別の話。

 (くぉら、キリ・ルッシぃいい! またか、お前ぇええ!!)
 (ぎゃぁああ! ごめんなさいぃいいい!!)

end
******
以下、反転で アトガキ

ずいぶんアホな話になりました。
アニメ『の●めカンター●レ』を見た後だったので、なんとなくノリが……影響を受けなくもないような。
最初はもっとマシだったのに、いろいろと痛いヒロインに……。
彼らは何を作ってるんでしょうか? とにかくロボット的なモノですかね?

ちなみに二人の名前の由来はロシアです。
キリル文字 = ロシア(Russia)……キリ・ルッシ
グレゴール文字 = ロシア、
 ロシア人 = ナンチャラフスキー(管理人の偏見) ⇒ 辞書で検索 ⇒ Erwin Panofsky (ドイツ生まれの美術史家。 たぶんロシアとは無関係)⇒ Erwin(アーウィン? エルウィン?)拝借
 ……アーウィン・グレゴー 【誤 :エルウィン(パソコン)】
とこんな感じです。

 ここまで読んでくださってありがとうございました!

 2008. 8/30
◇Photo(元画像)/ ノコギリ葬
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