真っ白で、すべらかで、冷たい硬質の箱。 箱といっても、本当に四角形かどうかはわからない。 ただ、それはまさしく箱で、それ以外の何物でもなかった。
  いくつも亀裂が走った壁や床は、生きているみたいに時折光を発する。 電子的な光が駆け巡る様子は、この箱の血脈のようにも見えた。
  そんな機械じみたパンドラの箱は、真っ黒な世界に浮かんでいた。

追憶 ‐ ノスタルジア ‐

 宇宙船の中でも滅多に人が来ない場所の中に、半円型の大きな窓を持つ所がある。 はめ殺しの窓は向こうへ突き出していて、窓のぎりぎりまで行くと、見える限りを景色に包まれる。
  そこから見えるのは真の闇と、その中にある星の光だけ。
  鮮やかな銀河がいくつも見える時もあれば、ごつごつした暗い色の塊だけがむなしく散らばっているだけの時もある。
  窓からの景色が変わるのは、このパンドラの箱が漂流しているせいだった。

  その、真っ白で無機質で、だだっ広い空間に人間が一人いた。 冷たいだろう床に直に腰を下ろし、足を胸に抱えて座っている。 船内の明かりは消え、壁や床を走る光だけが浮かぶ。 けれども、人間がいるその場所は、窓からの仄かな薄明かりに照らされていた。 くり抜かれた壁にはめ込まれた透明板の向こう側には闇と明るい光の色彩がある。 息を飲むほど美しい光景だが、人間はただただ無感動な表情で見ていた。
  ぼんやりと一点を見つめ続ける瞳はダークブラウン。 あまり手入れをしているようには見えない髪はボブとショートの間くらいで、顔は中性的。男か女かはわからない。 中学生くらいの年頃だ。
  身体にぴったりとした七分丈の白いTシャツとズボンは、ぴったりすぎてタイツのようにも見える。線の浮き出た身体は細く小柄で、女らしさも男らしさもなかった。

  ふと、瞬きしかしなかった表情筋がピクリと動いた。
  ぺたぺたと裸足で硬いものを踏む足音が近づいてくる。
  足音がすぐ近くまで聞こえたところで、人間はようやく背後を振り返った。 振り返った先にも、同じ服装をした別の人間がいた。 髪はこちらの方が短いし、体格もひとまわり大きい。 顔立ちも少し違って、 こちらはまだ、男だろうか、と推測できた。 けれど同じだった。 ――表情がない。
  後から来た人間はぺたぺたと歩み寄ってくると、最初にいた人間の隣に腰を下ろして胡坐をかいた。 その拍子に、首につけられた白い輪っかが光に反射した。 メタリックのプレートが冷たく光る。
  それは二人とも……いや、この船に乗るほとんどの人間がつけている輪っかだ。 首飾りなんていいものじゃない。 ペットや家畜につける首輪のように、その存在のすべてを拘束するためのものだ。 輪っかをつける彼らに対して徹底した管理体制が敷かれている証拠だった。
  二人は黙ったまま、無表情な顔で窓を見つめ、しばらくそうしていた。
  そして、唐突に、
 「41番」
  最初にいた人間が前を見つめたまま、問いかけるように声を出した。
 「なに?」
  後から来たほうが答える。 呼ばれたらしい。 41番は、同じように窓の外をじっと見て、呼んだほうに視線を向けようとはしない。
 「ボクたちは、どうしてここにいるのかな?」
 「知らねえよ。 ここにいたいからだろ」
  41番が言った。
  最初にいた人間は、自分の首についているプレートを指でなぞった。 鏡か何かで映さないと見えないプレートに刻まれた文字が指先に触れる。 その感触だけでは文字は読み取れないけれど、何を刻んでいるのかは知っていた。
 「ボクは、どうして14番なんだろう。 41番は41番なのに」
  14番の言葉は、41番に問いかけるのではなく、どちらかといえば自問のようだった。
 「生まれる前から決まってるんだよ。 14番は14番。 オレは41番」
 「そっか……」
  淡々とした会話は終わり、ふたたび静寂が訪れた。
 「静かだね」
  ポツリと呟いた声でさえ、普通の声の大きさに聞こえた。 真っ白で広い空間に響いて消えていく。
 「本当なら眠る時間だからな」
 「なんで眠らなきゃいけないの?」
 「夜だから」
 「夜って、なに? 誰が時間を決めたの?」
 「またそれか?」 41番は少し嫌そうな顔をした。 「オレは知らねえよ」
 「うん。ボクも知らない」
  おかしそうに、14番の口の端がほんの僅かに上がった。
  二人は窓に映る鮮やかな銀河をじっと見つめた。

 「ねえ、41番」
  また唐突に、14番が囁いた。
 「地球ってどんなのかな?」
 「母なる大地、か?」
 「そう」
  おとめ座超銀河団の局部銀河群に所属する “天の川銀河”。
  その天の川銀河の “オリオンの腕” 所属の、太陽系・第三惑星 ―― 地球。
 「月を衛星にもつ蒼い惑星だろ。 星の表面の半分以上が水で覆われてるから、 “水の星” って呼ばれてる」
  41番は淡々と言った。
 「前にホログラムで見たじゃないか」
  14番は窓を見つめたまま、ゆるゆると首を横に振った。 そして瞼を閉じる。
 「違うよ。 ボクが言ってるのは、故郷の地球だよ」
  41番は、わからない、と言いたげに眉をしかめた。「だから――」
 「違うんだよ」
  遮って、14番は囁くように言った。 それから一瞬だけ、怒っているような顔をする41番を見て、また窓に視線を戻した。
 「41番、空ってどんな色だと思う?」
  話題を変えて、落ち着かせるように、機嫌を直させるように、14番の声のトーンが少しだけ楽しそうに上がった。
 「…………青色」
 「じゃあ、海の色は?」
 「……青色」
 「空と、海は、同じ色?」
 「そうだろ。――たぶん」
  14番の口元が、小さく笑みを作った。
 「空は、ずっと変わるんだよね? “ひとつも同じ空はない”って……。 どんなのかな? 朝焼けと夕焼けはどうして赤くなるのかな?」
  41番は不思議そうに14番を見つめる。 14番は、どこか嬉しそうに――まるで楽しみにするお祭りを待ちきれない子供のように――言葉を続ける。
 「海の中ってどんなのだろ。 魚ってどんなのだろ。 ボクたちみたいに温かいのかな? それとも、この床みたいに冷たいのかな? 食べたら、どんな味がしたんだろ」
 「14番」 41番がたくさんだとばかりに呼ぶ。 14番は、さらに語気を強めて、興奮したように勢いを止めない。
 「他の動物たちはどうかな。 植物も。 いっぱいいっぱい、いたんだよね? 人間と一緒に暮らしてたんだよね? どんな暮らしをしてたんだろ」
 「14番。 そんなことはわからないんだ。 もうずっとずっと昔のことなんだぞ」
 「……41番は、気にならないの?」
 「気にしたってどうしようもないだろ。 答えだって誰も教えてくれない。 ……誰も知らないし、わからないんだよ。 答えのないナゾナゾなんて面白くない。 その話は聞き飽きた」
  低い声で淡々と言う41番を、14番は唖然としたように見つめ、怒られて罰が悪い時のようにうつむくと、また膝を抱き寄せた。
 「………………風の匂いはどんなのかな?」
  また14番はポツリと呟いた。
  今まで聞いたことのない問いかけに、イライラしていた41番も 「え?」 と14番を見返した。
 「森の空気はどうなの? 海で泳ぐ気持ちは? 雨に濡れるのは? 雷の怖さって? 太陽の暖かさは? 花の香りは? 地面とアスファルトはどう違うの? 風の声ってどんなの? 火山は山なのに、どうして動くの? 川はどこから出てくるの?」
  41番は目を丸くして、問いかけを吐き出す14番を見つめた。
 「14番、どこでそんなこと……」
  14番は膝に鼻がくっつくくらいまでうつむいた。
 「わからない……。ホログラムを見るたびに、ふと思うんだ」
  故郷の星のホログラムを見ると、意識をせずとも頭にそんな疑問がいくつも浮かんでくる。 他の子供たちは、そんな風には見えない。 ただ、「これが遥か昔に自分たちの祖先が生まれた星なんだ」 と、それだけだ。
  こんな会話を、誰かがしているところなんて、見たことも聞いたこともない。
 「ボクはおかしいのかな……。 本当に人間なのかな? って、思うときもあるんだ」
  くぐもった小さな声で14番が告白した。
 「どうして」
 「だって、人間には男と女がいて、お父さんとお母さんが愛し合って生まれてくるんでしょ?」
  14番は顔を上げて41番を見た。 無表情が少しだけ悲しそうだった。
 「ボクは男でも女でもない。 お母さんとお父さんもいない」
  命を得たのは母親の心音を感じる母体ではなく、いくつも並んだ無機質の中のひとつ――液体に見たされた透明なカプセルの中。 産まれてから抱いてくれたのは温かな人肌ではなく、この床や壁と同じ肌触りのロボット。
 「それなら、オレだって同じだ。 みんなそうだ。 ……14番だけじゃない。 オレたちみんな、人間じゃないかもしれない」
  41番が呟いたのを聞きながら、14番は立ち上がった。
 「そうだね。 人間じゃないかもしれない……」
 「勘違いしてるのかもな」
 「うん……」
  でもね、と窓に近づいた14番は、透明な厚い壁にそっと手を当てた。 窓を隔てた目の前の真っ暗な空間では、さっきとは違う銀河が輝いている。
 「ボクたちは人間なんだよ」
  14番は笑った。 初めてその顔に、はっきりとした表情が現れた。
 「だって……なんでかな……? そこで生まれたわけじゃないのに……」
  そこへ行ったことすらないのに。
  どうしてか、教えられる前から地球のことを知っていた気がする。
 「ボク、地球が懐かしいんだ。 すっごく、すっごく恋しいんだ」
  窓に両手を預けたまま振り返った14番の頬を、透明な滴がすべり落ちた。 一筋、二筋……。 14番は気づいていないかのように溢れる涙を拭おうともせず、ただ笑っていた。
  うれしそうで、悲しそうで、怒っているようにも見えた。
 
 「なんで、人間は地球から離れたんだろう……?」

  真っ白で無機質なパンドラの箱。
  機械じみた床に小さな水滴を落としながら、誰にともわからない問いかけは静かな空間に溶け込んだ。

end
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以下、反転で アトガキ【※長め】

遠い遠い未来はどうなるのでしょうか。
人類は何も学ばずに地球を破壊しつくしてしまうか、それとも考え改めまだまだ発達してゆく技術をもってして共存を果たすか。
どちらにしろ地球も生きてますから、そのうち死がやってくるんでしょう。
太陽が死んじゃったら地球も住めなくなるし。
きっとその頃には宇宙空間をワープできるくらい進歩してて……。だから、多少の難があっても地球を離れ、共に滅びることはないだろうな、と。

そうなっても、できれば、この話みたいになって欲しくないです。
この自然の綺麗さと偉大さを知らないって可哀そうですもん。
(でも、これは平和に暮らすから言える言葉でしょうね)

宇宙は広いし、地球と同じ環境の星があるかもしれないけど、それは地球とは違うから、……うん、 やっぱりイヤですね。
生まれ育ったこの星でないと。

あらら、アトガキ最長記録ですね……(苦笑)
こういう話題はどこまででも長くなりそうなので打ち切ります。

 ここまで読んでくださってありがとうございました。

 2008. 8/19
◇Photo(元画像)/ Sky Ruins
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